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『塩田千春展 魂がふるえる』を観た(2019/7/19)

無数に張り巡らされた赤い糸
黒焦げのピアノ
「たましいってどこ?」とクレヨンで書かれたような文字

『塩田千春展 魂がふるえる』の宣伝画像は、そそられる要素で溢れていた。

SNS戦略において他の美術館からの追随を許さない森美術館のInstagramにつられて来ている人が多いからなのか、展覧会場は割と気軽な気持ちでカップルで観に来て写真を撮りまくっている人が多かった。

余談だけれど、客層で見ると同じ日に訪れたクリスチャン・ボルタンスキー展はフジロック前夜祭から4日間参加している社会人層に似た雰囲気の人が多くいる様に感じたけれど、塩田千春展は思い出作りでサマソニに1日参加している大学生層に似た雰囲気の人が多い様に感じた。


展覧会で実際に体感してみると、無数に張り巡らされている赤い糸と船の作品『不確かな旅』は、実物を見ると毛糸を使われている事が分かり、自分の中で画像ごしの感覚だと”血管”という印象が強かったけれど、”繭の糸”のような印象もプラスされた。
お母さんのおなかの中という感じだろうか。

黒い糸と焦げたピアノの『静けさの中で』も、実物を見ると焦げた匂いが未だに漂ってきそうな、生き物の死体を見ている感覚に近くなり、狂気じみた面がプラスされた。


キービジュアルとなっている作品と同じ様に、糸をモチーフに生死に纏わる作品が続いていくのだと思っていたのだけれど、会場を進むにつれて、作者本人が裸で山をよじ登っていく映像や、黒い油の様なものを使った作品、舞台美術もしているとの事で真っ赤な液体が流れる透明な管が張り巡らされた舞台で演奏している楽団の映像等、想定外のおどろおどろしさが次々と現れてくる。

会場からも「クセが強い…」という会話が聞こえてきた。

大地の芸術祭で拝見した同作者の『家の記憶』という作品は、空き家に黒い糸を縦横無尽に張り巡らせて、地元住民の方から集めた”要らないけれど捨てられないもの”を一緒に綴じ込めたもので、大胆かつ繊細な作品を創られる方という印象だった。
しかしこの展覧会では大胆を通り越して野性味溢れる部分もあり、凄く繊細な心を持った方が、とんでもなくピュアな気持ちから作品を創られているという印象に変わった。
死ぬ事への興味と恐れと、生きる事への執着と恐れが爆発してしまっているんだろうか。
たましいって何なんだと、迷子みたいに泣き叫んで訴えかけている。

死を意識する事で生が浮き上がってくるというコンセプトのアート作品は多々あり、私はそういう作品に元々とても惹かれてしまう性分だ。
そういう作品は大概死を諭してくれるものが多い印象なのだけれども、この展覧会は、まだまだ恐怖が伴っていて、まだまだ死ぬのが怖い私自身の心を映してくれている。そんな気がした。



会場:森美術館
期間:2019/6/20~10/27
料金:1800円

※一部写真撮影可
この会場で撮影した作品は「クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際」ライセンスでライセンスされています。

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