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クリスチャンになったキッカケ

ここ最近、クリスチャンになったキッカケを話す機会が増えてきたので
改めてこちらにまとめてみます!

(自分自身、恵みを思い出す意味も込めて)


1.教会との出会い

高校3年生の冬。
夜間定時制高校から自転車で帰る途中で、
とあるストリートライブに出会う。

名古屋の栄でよくやってる路上ライブにしては、
やけにギャラリーが多い。
「有名なバンドなのかな?」と思って立ち止まってみたら、
キリスト教会の人がやってる路上ライブだった。笑
(ちなみに、ギャラリーが多かったのは韓国の教会から来てくれたチームのメンバーも参加してたから。)

その時に「木曜日、コリアンパーティーやるからおいで!」といわれたのだけれど、
木曜日の夜は学校があったから行けず。
(※夜間定時制高校だったから、夜に授業があった)

そしたら、その週の日曜にバレンタイン礼拝があるという。
「10年以上経ってもラブラブな夫婦の秘訣が聞けちゃうよ!」と誘われる。

なにそれ、面白そう。

興味はあるものの

ちょっとこわい。。。

迷った私、タロットカードのアプリで占う🤣爆

出たカードは、良い意味合いのあるカード。
「あ、大丈夫かな?」と思い、
行ってみることに。

今思えば、
占い自体は良くないものだけれど
神様はそれさえ用いたのかもしれない。

※占いについての補足

占いというものは、背後にいる悪霊が操っており
その結果と同じ事が起こるようにしたりしているらしいです。
一見いいアドバイスをしているように見えても、
悪霊や悪魔に対する扉を開くことになるため
悪影響が大きいです。
(実際、私自身も占いをしていたころは比較的混乱が大きかったように感じます)
ここではあまり詳しくは述べませんが、
占いやおまじない、オカルト系なものは
自分の身を守るためにも避けるべきだと感じます。
(私自身、クリスチャンになってからは魔術の本も占いの本も全て捨て、断ち切りの祈りをして一切の縁を切りました)

2.教会に行ってみた

2012年2月12日(だったかな?)
誘われた、日曜礼拝に初めて参加。
礼拝が行われていたのは、とあるビルの一室。
(当時は、貸し会議室を使っていた)
賛美は、バンドスタイル。
めっちゃノリノリで歌ってる。

ビックリしないわけがない。笑

教会のイメージと違いすぎる。笑

そんな戸惑いもありつつ、
礼拝自体はかなり楽しかった。

また遊びにきたい。
素直にそう感じた。

牧師婦人の方に感想を聞かれたときも、
「楽しかったから、また遊びに来たい」と伝えた。「けど、クリスチャンにはならないと思います!」とも。笑

いや言わんでええやろw

でもホンマ、当時はクリスチャンになるなんて
全く思ってなかった。

その1週間後に信じたのだけれど。爆

3.そしてクリスチャンへ


初めて礼拝に参加した、翌週。

この週はテスト週間だったので、授業がかなり早く終わってた。
だから、ストリートライブにも
水曜、土曜礼拝にも遊びに行ってた。

なんなら、「聖書読んでみようかな?」と思って
自分で聖書買ってるし。
(前にギデオン協会の聖書をもらって
少し読んだことがあったから、聖書自体にはそれほど抵抗なかった)

革装の、キンキラキンのごっついやつ。
(中型聖書)


こんなやつ。
これの真ん中の、黒いやつを買った。


なんでやねん🤣🤣🤣🤣🤣
これ牧師さんとか持ってるイメージやねんけど🤣
しかもごっつ重たかったしw
(通販で買ったからサイズ感わからんかったけど、
中型でもめっちゃデカい!)

なんか、この時点で「クリスチャンにならない」って思ってる事自体不思議な気もするけど。笑

その週の日曜礼拝。

メッセージのときに「なんかしらんけど、信じたい!」となって

最後の招き(イエス様を受け入れたい人は手を上げてください〜って時間)に手を上げた。

「私、クリスチャンにはなりません!」
って宣言した次の週には信じてた🤣爆笑

未だに、何が決め手か聞かれても
「分からない」としか言いようがない。

だから、やっぱり「聖霊に導かれたんやなぁ」って思う。

ちなみに洗礼も、翌月に行われることを知ったとき「これを逃したら次いつ受けられるかわからへん!」と、そんな理由で受けることを決めてた。笑

洗礼を受けたときの写真

4.まとめ

こうやって改めて書いてみると、
ホンマに神様に導かれてるなぁと感じる。

もしかしたら、そのキッカケの一つは
母の友人がずっと祈ってくれていたからなのかなぁとも思う。

幼少期に、一度だけ教会というものに行ったことがある。
母の友人が通っていた教会に、連れて行ってもらったらしい。
(青色のイースターエッグをもらった記憶はぼんやりある)

その教会の子どもたちと一緒になって踊ってたらしい🤣笑

教会というものに行ったのはその一回だけだったけれど、
その母の友人はずっと祈ってくれていたらしい。

(老人ホームに会いに行ったときもいつも祈ってくれたらしい。)
また、数年前にその教会に行ったときに話を聞いてみたら、その方はすでに亡くなられていたからお会いできなかったけど
「本当に、いつも教会のみんなや子どもたちのために祈る人だった」という話を聞くことができた。

その祈りが、15年〜18年越しに聞かれたのだと思う。

神様は本当に真実な方。

はれるや。

幼少期に一度だけ行った教会。
(昨年、名古屋に帰ったときに行ってみた。
改装されているから当時と同じではないけれど)

残念ながら、通っていた教会では色々あって離れることになったけれど神様自身はずっと導いてくれていた。

そして、これからもずっと見放さないと確信してる。

あなたの一生の間、だれ一人としてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。

ヨシュア記1章5節
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ハレルヤ!