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桜餅

 私が職人見習いとして初めて覚えた料理の一つに桜餅があります。当時は見習いですので持ち場は追廻しでした。自分の仕事をこなしながら同時に先輩たちの雑用をする持ち場です。この追廻しの持ち場のことをその職場では「はこ場」と呼んでいました。

 はこ場で受け持つ料理は、
一つには包丁に慣れるための簡単な刻みもの。例えば、
・漬物を切る。
・炊き込みご飯の種を刻む。
などです。

 それと調理場全体の仕組みを把握するために、各持ち場で作る料理の下処理をすることです。こちらは例えば、
・茶碗蒸しの種を刻み、器に盛り煮方(主に煮物、椀物、蒸し物担当)に回す。
・小袖寿司や手毬寿司などで使うすし飯を八寸場(主に先付、八寸担当)に回す。
・仕入れた野菜をリードペーパーや新聞紙で包むなどの適切な処理をして各持ち場の冷蔵庫に仕舞う。
・魚の鱗や内臓を除く「水洗い」の処理をして向板(主に刺身担当)、焼き場(焼き物担当)、油場(揚げ物担当)に回す。
などです。

 このようにはこ場の仕事は多くが下処理になります。調理場の多くの仕事の起点がはこ場から始まり、多くの仕事に影響を与えると捉えるならば、この下処理という名の雑用にも誇りを持って当たれるのですが、始めから最後まで自分で作る料理は白ご飯と漬物だけですので、思慮の足りない私には物足りなく思えたのです。
 ここには、京料理を体系的に学んでいく上で必要な順序が論理的に構造化されているのですが、早く料理を作れるようになりたいと合理的な欲求に囚われている新人にとっては心が躍るという感覚を得られにくい持ち場でした。

 そのような環境にあって、ご飯炊きや漬物作りのような日常と代り映えのしない料理とは異なり、唯一心を踊らされる料理が水物(デザート)として提供していた桜餅だったのです。


 後にこの事を考えていると、はこ場の仕事は職人として最も中身(知識と技術)が乏しく、それ故に動きの軽い(視野が狭い)見習いに飯炊きや雑用と言った最も代り映えのしない仕事、つまり重く動きの乏しい仕事(広い空間)を与えると同時に、デザートという最も軽やかに心を動かされる仕事とをセットにして適切な割合で与えていたのだと分かり、この構造に惚れ惚れとするような美しさを感じ得ました。きっと、視野の狭い新人に我慢を強いることで広い視野を与え、構造を観る目を養わせることになるのだと思います。

 このことを自律神経系の動きで表すと、以下のようになるではないかと考えられます。

 心が躍るような料理を覚えたいという欲求は交感神経を高めたいという欲求です。外向思考や骨格筋を動かして外部環境に適応したいという闘争の欲求です。つまり、適応しなければならない状況とは環境が新しいからであり、外部環境に適応したいということは新しい動きをしたいということになります。

 しかし与えられる多くの仕事は普遍的で代り映えのしない仕事です。これらの仕事には普段通りの規則的な動きを求められます。その為、交感神経は思うように高まることはありません。頑張りたいのに頑張れる環境にないのです。前に進みたいのに遅々として進まないと感じられるのです。

 制度として仕方がないものだ。と受け入れられると、副交感神経の働きが高まり、やがて優位になり、頭や心肺、体の表面に集まっていた血液が消化器系や泌尿器系の方へと流れていき、熱が引いていきます。
 視覚は縮瞳し目に入る光が抑えられ、景色の解像度が下がります。私たちが副交感神経が優位になる状態に時として嫌悪感を憶えるのは、この縮瞳による暗さなのだと思います。

 しかし、副交感神経が優位になる状態は決して悪いことではありません。それは科学的にも明らかにされています。

 それは一つには、副交感神経が優位になる状態では体の内部環境が整えられていることが挙げられます。「消化と休息の反応」と呼ばれ、体がリラックスした状態です。
 二つ目には、景色の解像度が下がった状態において、物事の大まかな特徴を観察できることが挙げられます。昼間の明るい所では物事の細部が見えますが、暗がりでは細部は見えなくなります。細部とは具体的なものであって、暗がりでは具体的なものは見えなくなり、より大きなもの、より抽象的なものだけに限定されてくるということです。これが先程述べた、構造を観る目を養えるということに繋がります。

これを異なる角度から説明し直すと、昼間は光を吸収するものに目が惹かれ、夜は反対に光を反射させるものに目がいくとなります。

 自然とは不思議なもので、例えば部屋に居て、電気を使わず自然光のみに頼った時を過ごしていると、物事の構造が見える時があります。

 昼間は黒いもの、小さいものに目が惹かれます。しかしそれらは長く見続けることはできません。理由は疲れるからです。ですのでそれらを見た後に自然と白いもの、大まかなものを縮瞳して見ています。意図的に力んで、黒いもの、小さいものを見続けようとしても長くは続きません。そして無意識の内に白いもの、大まかなものに目が向いているのです。その時、目の筋肉が回復している感覚、つまり癒されている感覚を憶えます。これは瞳孔の筋肉が2種類からなり、目が散瞳と縮瞳を繰り返し筋肉を交互に使い、交感神経と副交感神経を交互に働かせているからだと思います。

 夜になると、この動きが逆転します。

 目は白いもの、大まかなものに惹かれます。しかし昼間と同じで、それらは長く見続けることはできません。そして知らず知らずの内に物事の詳細を探るかのように黒いもの、細かなものに目を向けています。 

 大きな白い壁に小さな黒っぽい絵が飾られているとします。
 昼間は自然と絵に目が向きます。暫くの間、絵の詳細を目で追い一通り眺めると、目をギュッと瞑り、一瞬ぼぉーとします。或いは絵の詳細を追っている合間に白い壁をぼぉーと見て疲れを癒すかもしれません。
 しかし夜には黒っぽい絵は暗がりに溶け込み背景の一部になります。逆に大きな白い壁は背景に暗がりが拡がることで小さいもの、つまり点になって見えるのです。
 
 これらの欲求の動きは人の状態によりますが、基本的に人の体は体の内部環境が整った状態においては欲求は外向性を志向し交感神経の働きを高め、逆に内部環境が整っていない状態においては欲求は内向性を志向し、副交感神経の働きを高めるのです。

 加えて、性質に焦点を当てると、体の内部環境の動きを捉える感覚器を上手く使えない人は外部環境に刺激を求め、外部環境の動きを捉える感覚器を上手く使えない人は内部環境に刺激を求めることになります。

 つまり感覚器は正常な状態であれば、相対的に働くと言えるのではないかと思います。

 これを個人に当て嵌め考えていくと、体は個人差がありますし、加えて頭脳の働きにも影響を受けますし、体の内部の動きを観察する力にも個人差がありますので、答えは途端に難しくなります。ですので専門家ではない私が述べることは控えます。この記事を読まれる方が自分自身を探求することで理解されることが望ましいのではないかと考えています。

 話が脇道へと逸れてしまいましたが、桜餅の話に戻ります。

 この当時に覚え、今でも春になると私の店で作る桜餅は関東風の見た目です。京料理店で提供する桜餅が何故、関東風なのかと当時から漠然とした疑問をもっておりましたが、これには訳があります。

 修業をした料亭は会社組織でしたので入社式があり、見習いは4月に一斉に修業を始めます。私が勤め始めた大阪店には先月に当たる3月の献立がはこ場に張られたまま残されていました。折角なのでその古い献立表をもらったのですが、煮物椀の献立が「甘鯛の道明寺 桜蒸し」となっていました。ここから推察するに恐らく、料理長は似たような形をした二つの料理と三月と四月の二つの月になるべく多くの差異を作りたかったのではないかと私は考えました。
 この差異が毎月訪れるお客の自立神経系のリズム、思考のリズム、味覚のリズムに新しい落差を生むと考えたのだと思っています。つまりお客に及ぼす感覚を細分化させたということだと思います。


蛤の道明寺 桜蒸し 薄葛仕立て


  
 ただ、この推察が当たっているかどうかは分かりません。
 因みに、関東風と関西風には主に生地に差異があり、関東風では白玉粉や小麦粉を使い餡を巻き、関西風では道明寺を使い餡を包みます。道明寺とはもち米を水に浸し炊いた後、乾燥させてから砕いたものです。名称の由来は大阪の道明寺という寺院によります。この寺院で初めて作られたといいます。

 餡は白いんげんの漉し餡を使い、これにペーストにした苺を混ぜて火にかけ、さらりとした舌触りになるまで練ります。この食感は伊勢の赤福に似ていると思っています。もっとも、私は基本的に餡子が好きではありません。ですので、献立が桜餅だと知った時、私はゲッと躓きを憶え、
「なーんだ。あんこかよ」
とがっかりしたことを覚えています。

 好きではない理由は甘すぎるのとねちねちとしてもっさりとした感覚に、せっかちな私は苛々し、感覚を切り離そうとする解離の反応が起こるからです。それはまるで感情的な優しさと濃い繋がりの中で自己の存在が埋もれ、呼吸もままならないまま溺れゆく感覚です。

 しかし、先輩に作り方を教わり、餡を味見した時に、
「えっ。美味いやん」
と思ったのです。そして、
「これは美味いわ」
と、生意気にも味を評価したことを覚えています。
 この苺餡は苺の酸味と水分により、私にとっては美味しいと感じられる程良い甘味と舌触りになっていたのです。

 生地をフライパンで焼く際は、もっと心が躍りました。
 煮方という最終目的地のコンロの一つを占拠し、クレープのようなものを焼くだけにしろ、上手に出来ると、なんだか自分がとても立派な仕事をしているように感じられたのです。今、思い出してみても実に単純で他愛もない奴だなと思います。

 後に、本店から一時的な助っ人として大阪店に来た先輩が料理長に大阪店の水物について尋ねたことがありました。
「大阪店の水物は本店と違って料理してるって感じでいいっすよね」
確か、先輩はそのようなことを言っていたように思います。

 当時は格式の高い料亭では水物は高級な果物と決まっていたようで、その時も助っ人の先輩は本店では果物を切り、盛り付けるだけで面白くないとぼやいていました。それを聞いて私は得をした気分になりました。実際は果物を提供するには素材の良し悪しと熟成の頃合いを見る目、そして確かな仕入れ先を確保するというとても難しい課題があるのですが、当時の私たちのような駆け出しの職人には分からなかったのです。
 それに比べて、大阪店では4月以降もアイスクリームやムースや葛切りなど料理らしい料理を提供しており、またそれらにはひと工夫がなされており、助っ人の先輩はそれらを見て羨ましがっていました。

 助っ人の先輩は本店と大阪店で何故このような違いがあるのかと尋ねていました。それに対して、料理長は一つには本店と大阪店では懐石料理の価格に倍ほどの差異があり、高級な果物は使えないこと。もう一つには、先の理由により、原価を抑えながら美味しいと感じてもらえるように工夫しなければならないことと言っていました。そして、

「その方がお前らのような若い子には楽しみがあって良いやろ。雑用ばっかりでは面白くないしな」
とも言ったのです。私はこの言葉に料理長が常々一年目の新人を気遣ってきたのだと温かみを感じました。そして本店とは違う良さが大阪店の修業にあることを再確認したのです。

 当時の勤め先は大阪・心斎橋の百貨店にテナントとして地下一階に入っており、立地は季節感を重んじる京料理とはかけ離れていました。陽に当たる時間は下宿先の寮から最寄り駅までの間と地下鉄の心斎橋駅から百貨店の入り口までの間に限られ、一日に僅か10分間程度だったように思います。
 当時、塩漬けにされた桜の葉や花を見て、時折、私は入社式の数時間前までは京都にある本店勤務だったことを無意識に思い出したものです。新しい職場で何かと覚えなければならない忙しない時を過ごしながらも、説明もなく約束を違えられた苦々しさを忘れられずにいました。会社の事情により急遽、変更になったのですが、大阪店の料理長が本店を見学できるように取り計らってくれたおかげて、入社式の後に本店を見学させてもらえたのでした。

 本店の玄関には暖簾が掛かっており、店名と家紋の脇に江戸時代の創業であることと、「茶懐石 京料理」と書かれていました。間口の広い玄関とこの言葉と京町家に見られる格子や出格子、深みのある墨色の柱と漆喰の柔らかな白地の壁の端正な対比に重く揺るぎない選別の眼差しを向けられているようで、酸味に憶えるような冷やりとした感覚に薄っすらと背筋が凍り付き、私は否応なしに思いを新たにさせられました。
 その時、鼓動がドクンと高鳴り、意識は一段と覚醒し、目に映る景色が鮮明に座り込んできました。その切り替わりの早さと距離間に私の胃はグググと大きく捩れたのです。

 調理場を見学させてもらった際も、店内を見学させてもらった際も私の胃は頭が喜びを憶えるのとは反対に事あるごとに捩れていました。
 大阪店の料理長と接客の新人と私の三人のみで見学したため、調理場に入っても照明のスイッチの場所が分かりません。その為、明かりの消された調理場には隣接した配膳場にある灯りが弱々しく射し込むばかりで、大小の調理器具を鈍く重々しく浮かび上がらせ、反射光に冷たさを感じたものです。実際はプールくらいの広さなのですが、調理場の奥に目を凝らしても暗がりは色を深めて隠しています。その計り知れない闇に私は幽玄の趣を感じ再び胃が捩れたのです。

 広い調理場で約20人ほどが働いていると聞くと、私は無意識に人を配置し、人が働いている様子を想像しました。そうすると腕に覚えのある、巧みで、手慣れた益荒男、まさに鰹なる者たちが躍動する残り香が感じられ、私の胃は増々捩れました。
 また案内された店内の柱や調度品には時を重ねた物々しさを感じ、その見た目や感じに、
「いいなぁ」
と思いながらも胃は捩れていました。

 この捩れの動きは、苦味を口にした際の舌筋とその周辺の筋肉の動きと重なります。今、考えてみると、本店の佇まいに感じた冷たい重々しさがこの先の修業の大変さを物語っているように感じ、その想像した未知なる物語と闘争を繰り広げていたのだと思います。

 本店見学を終えて、大阪・心斎橋にある大阪店に行くために京阪の最寄り駅に向かいました。その途中、鴨川に架かった石橋を目にすると、その頑丈な佇まいにまでどこか疲労感の掻き立てられたように感じました。しかし石橋の上から目にする光景は上下左右に広々と拓けており、川沿いにどこまでも連なる、満開となった桜並木が私の鬱屈を鮮やかに攫ってくれたのです。

 満開の桜は春を迎えた喜びをはにかむように春霞と陽光 の眩しさに隠して、温かさを 増した風に微笑み返すように枝を揺らしてい るように感じました。
 川の端々には水草が茂って幾つもの島をなし、青々とした生気を放っています。土手の 斜面から川沿いにかけて、古色の中から黄緑 の新芽が、ひ弱ながらも確かな動きを見せ 、川面から乱反射する陽光は霞 の中で煌めいていました。そして、この鮮やかで明るい夢心地な風景に目が馴 染むまでの刹那に私の頭に過る想像上の物語を忘れさせてくれたのです。 

 ・桜餅の塩漬けにされた葉のごわごわとした歯触りと舌触り、そして仄かな苦味は当時の闘争の余韻と薄れゆく記憶に見える構造。

 ・口にして唐突に感じる強い塩味は望んでいた本店勤務から大阪店へと入社式当日に変更された驚きと本店見学の際に繰り広げられた想像との闘争。

 ・苺餡のさらりとした舌触りと控えめな甘味は満開の桜が見せる心地良さと潔さ。そして雑用と代り映えのしない日常にあって、与えられた唯一の心躍る料理。

 ・時折感じる、巻かれた苺の仄かな酸味は現実と想像、現実と欲求との区別の教え。或いは周囲の友達とは異なり前時代的な道へ進むことを眺めた際に、この世界の在り様に憶える別離の寂しさ。

 ・白玉粉を使った薄く柔らかい生地には桜の葉が張り付き、甘味と酸味に憶える感覚がまとめられています。

 「なんで関東風なん?」
と、これまでに幾度か尋ねられた記憶がありますが、毎年この桜餅を提供するのはこの味と形を重ねた桜餅が私にとって、三寒四温の、今一つ後ろに安堵を憶えない、しかし確かに温かみを感じられる春の味の一つだからです。

 この味と形の重なりは忘れようとしても忘れられない深く刻まれた記憶です。それ故に私はこの記憶の苦々しさに甘い粉を振り掛け、そして構造に組み込まれた論理の美しさを百合根の花びらで模り、仄かに甘く整えた百合根に春と人の優しい温かみを重ねています。

 さて皆さんはこの春、桜餅を食べられたでしょうか?
 そして何を感じられたでしょうか?
 

 

 



 

 

 

 

 
 
 

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