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食事は時空間をデザインする



1、味、食材、料理の構造

 これまでに記事にしてきた四大味覚それぞれによる舌筋と舌周辺の筋肉の動きを簡単にまとめて、それらを次元的に捉えていきます。

・塩味は比較的素早く感じられ、比較的余韻は短い。つまり点なる味であり0次元で、自意識の存在の拡大を促し一次元へと導く前進機能を持つ。そして前後の二方向の動きを内包し、それらはそれぞれに開閉の弁を持つ。
・ + 時間 = ー
正確には‥‥であり点の連なりです。

・甘味はゆっくりと感じられ長く後を引き、狭く深い味わいがある。つまり線なる味であり一次元的で、並行する線と線とを繋げ面にし二次元へと導く関係性の強化機能。そして左右の二方向の動きを内包し、それらはそれぞれに開閉の弁を持つ。
ー + ー + 時間 = □
正確には‥‥による線の並列です。

・酸味は最も早く感じられ、余韻も短い。つまり線なる味であり一次元的であり、次元を引き戻し、関係性の選別機能を持つ。そして上下の二方向の動きを内包し、それらはそれぞれに開閉の弁を持つ。

 
・苦味はゆっくりと感じられ、広く深い味わいといつまでも続く余韻がある。つまり面なる味であり二次元的で、古い自意識の終焉と新しい自意識の誕生を促し、立体的で空間を作る再生機能。そして二方向へ捻じれる回転の動きを内包し、それらはそれぞれに開閉の弁を持つ。
正確には面の並行的な連なりです。



次に、鰹なるものと昆布なるものを整理して列記していきます。

・鰹なる味とは動きの早い特徴を持つ、四大味覚の塩味(快)と酸味(不快)である。塩味は小さな驚きによって意識を外向させ、酸味は大きな驚きによって意識を切り替えさせます。
・昆布なる味とはゆっくりとした動きに特徴のある、四大味覚の甘味(快)苦味(不快)である。甘味は快によって意識を内向させ、苦味は不快によって意識の切り替えを迫られます。

 4つの味は特徴により2種類に分類され、その2種類も2種類に分類される。そしてこの4つの味の流れに循環があることが分かります。


図1
赤は鰹なる味・交感神経の活動を高める
青は昆布なる味・副交感神経の活動を高める
ただ、実際にはもっと多種類の味がある


・鰹なる食材とは栄養素で捉えるとタンパク質と脂質と糖質に富んだ食材であり、快を得られるもの。これらの栄養素は体を外部環境へ適応させる。
・昆布なる食材とは栄養素で捉えると、ビタミンとミネラルと食物繊維に富んだ食材である。これらの栄養素は体の内部環境を整える

※鰹なる味に塩味を分類しながら、昆布なる食材にもミネラルとして分類するのは、塩味は塩化ナトリウムが持つ呈味であり、ミネラルとして分類したのは塩を構成しているナトリウムを指したものです。


図2
赤は鰹なる栄養素・交感神経の活動を高める
青は昆布なる栄養素・副交感神経の活動を高める
ただ、実際にはもっと多種類の栄養素がある


・鰹なる料理とはファストフードやブランド食材を使用した分かり易い料理であり、時間を要せずに「旨い!」と感じられ、視界の解像度を上げ、意識を外向させ、空間の広がりを感じさせる料理である。
・昆布なる料理とは古臭く、面倒くさく、分かり辛い料理であり、視界の解像度を下げ、意識を内向させ、時の流れを感じさせる料理である。


図3
赤は鰹なる料理・交感神経の活動を高める
青は昆布なる料理・副交感神経の活動を高める

また、別の角度から見ると、

 鰹なるものとは鰹の姿のように強い存在感を表象した味、食材、料理であり、或いは昼夜を問わず四六時中高速で動き回り、餌を見付けると一網打尽に丸飲みする鰹の生態のように、空間軸において、存在感を高め、社会の中で価値が高いとされるものとの共感覚を得られるものを指しています。

 これにより外部環境に合わせるために交感神経の働きを高め、「闘争と逃走の反応」の臨戦態勢をとる忙しない動きを促します。

 昆布なるものとは昆布の姿のように長い余韻を残す味、食材、料理であり、或いは岩礁に付着し一歩たりとも動かず群生し多様なコロニーを形成する昆布の生態のように、時間軸において、変化の緩やかな自然や社会との共感覚を得られるものを指しています。

 これにより自然や社会の動き、そして体の内部環境を整えるべく副交感神経の働きを高めた「消化と休息の反応」の動きと類似する、はんなりとして余韻の長い動きを促します。


2、料理は空間を創造する

 料理店の料理を構成する要素を見ていくと、味、食材、料理法があります。図2では栄養素を扱っていますが、ここでは栄養素を食材に変換して扱っていきます。どちらにしても料理には感覚で捉えられる概念が層をなしていることが伝われば良いと考えています。


図4
一つの料理に内包された層
共通のパターンを持った動きがそれぞれの層にある




 味には図1のように機能(動きをもたらす要素)という明確なパターン性があり、

 食材には機能(図1と図2)と色と形のパターン性とデザイン性が混合してあり、

 料理法には「生」、「煮る」、「焼く」、「蒸す」、「揚げる」といった五法があり、味や栄養素と同様にパターン性とデザイン性があり、

 料理には料理法と食材と味を結び付け、増幅と相乗するといった足し算と掛け算を合わせた明確なデザイン性があります。
 この一次元から三次元に至るまでの様々な重なりは料理に奥行きと幅を生むということであり、また同時に心理的空間を生むことが分かります。

3、時間は身体で創造される


 食事においては、この空間と人の感覚器(五感)が結びつきます。この空間は様々な電気信号となり、人体の様々な神経を通り、それにより脳と血管と筋肉に様々な反射や反応が生みます。人は神経の動きをはっきりと感じることはできないと思いますが、脳や血流や内臓や骨格筋の動きはある程度感じることはできます。この一つ一つの断片的な動きにも料理を構成する要素と同じくパターン性とデザイン性があり、そこに様々な落差があるために人は流れを感じるのだと思います。それはつまり心理的に時間と空間を感じるということではないでしょうか。


 料理そのものを味わうということは、ここで言う時空間に含まれる様々な要素を感じるということです。要素をより多く長く感じることは時の流れに滑らかさや細やかさを生むことになり、人はそこに癒しを憶えます。それは食事に掛けた時間に比例します。


 一方で要素をより強く早く感じることは空間に広がりを生むことになり、人はそこに楽しみを憶えます。それは味を感じるまでの時間に反比例します。
 

 これを鰹なる料理に限定すると、意識を外向させ、交感神経の活動を高め優位にし、血液を脳や心肺に集めた状態時の、主に舌筋と骨格筋の緊張度合いと理解の深さ、つまり「旨い!」という感覚は空間的な広がりに比例し、
 
 これを昆布なる料理に限定させると、意識を内向させ、副交感神経の活動を高め優位にし、血液が脳や心肺から下降し胃腸へと流れる状態時の、主に舌筋と骨格筋の弛緩度合いと感知、つまり「美味しい」という感覚は時間の長さに比例することが分かります。

 そう考えますと、料理そのものの美味しさは料理そのものに含まれる動きを生む機能とそのデザインにあり、同時に人体そのものの機能と人体に意識的に或いは無意識に生じるデザインにも因ると言えます。そして前者は作り手に委ねられ、後者は受け手に委ねられます。

4、食事と生活

 昔の人は、個々の仕事にある発見と開発に喜びを得て、嬉々として、一日中遊ぶように働いていたと聞くこともあります。その力はどのように作られていたのでしょうか。それは恐らく、生活の部分的なことから全体的なことに至るまでの、幾層にも重なる構造における緊張と弛緩にバランスがとれていたからではないかと考えます。

 食事のバランスもそのひとつではないでしょうか。

 今よりも人と物事とそれらの関係が少なかった昔は、人は意図もたやすく意識を内向させることができたのではないかと想像します。食事に掛ける時間もその分量に比べ随分と長かったのではないでしょうか。それにより消化と休息の時間を持て、感情と感覚の調和のとれた持続的な生活を送り易かったのではないでしょうか。


 感情は外向的な身体性の活動を促し、具体的な思考に結びつきます。感覚は内向的な身体性の活動を促し、抽象的な思考に結びつくことはこれまでに述べてきました。前者はデザイン思考、後者はパターン思考に繋がると言えるかもしれません。そして大まかに分けると、デザイン思考とは開発であり、社会の内側でつくられるもの。パターン思考とは発見であり、自然の創造を発見することなのだと思います。
 
 そう考えると、昔の人は開発に繋がる感情表現と骨格筋の大きな動き、発見に繋がる感覚認知と人体内部を整える小さな動きといった、様々な動きに調和を取り、人体に備わった全方位の動き(前後・左右・上下・捻じれ・開閉)を躍動させることで、緊張と弛緩のバランスを図り、持続的な活動を活き活きとさせていたのではないかと想像できます。

 社会という変わりゆくものを捉える時、そこに再現性を伴うことは困難です。その為、その性質から、社会を捉える場合は大抵は、ああではないか?こうではないか?と、定性的な指標を幾つも用意することが重要になります。そのような観点から、私の理論もその幾つかの指標の一つとして、皆様の可能性を拡げるものになればと思っております。

5、追記

 これまでにパターン性とデザイン性の話をしてきましたので、ついでにもう一つだけ、言語面からの考察を追記しておきたいと思います。

 美味しさを表現する言葉には、味覚で捉えた表現だけでなく、他の四つの感覚で捉えた表現も合わせた、組み合わせによって表現されることが多いと思います。
 例えば、
しっとりとして甘味のある塩
という表現があるとすると、ここで使われた「しっとり」は乾・湿に係る触覚表現であり、「甘味」は味覚表現になります。これを構造的に見ると、単一表現である触覚表現と味覚表現が組み合わさって塩の美味しさが複合表現されていることが分かります。

 五感それぞれに属する言語表現においては、視覚に関する言語が最も多く、逆に最も少ないのは嗅覚に関するものだと報告している研究があります。私たちの生活においては、情報は視覚を通してもたらされることが多い実感が多くの人にあるでしょうから腑に落ちるのではないでしょうか。
 味覚で受容できる情報の種類と嗅覚で受容できる情報の種類においては圧倒的に嗅覚で受容できる種類の方が多いのですが、何故、嗅覚情報は言語化されている数が少ないのでしょうか?

 一方で、ある音楽を言葉にする際は主に聴覚に関する言語表現で表され、そこに他の四つの感覚表現が加えられます。
 写真であれば、視覚表現が主になり、他の四つの感覚表現が加えられます。
 このように、それぞれの感覚表現を貸し借りして、ある感覚器に関する表現がなされます。

 この貸し借りにおいて、借りることが最も多い感覚器が味覚になるそうです。反対に貸すことが最も多い感覚器が視覚なのだそうです。
 以上のことを簡単にまとめると、以下になります。

・最小単位の物質  嗅覚情報(匂い物質) > 味覚情報(味物質)

・言語化された言葉の種類   味覚言語 > 嗅覚言語 

・複合的な表現においての借り   味覚   > 嗅覚   

このことを推論していくと、
・味覚はデザイン性に優れており(開発が進んでいる)
・嗅覚には多くの発見(パターン性)が残されている
ということになるかと思います。  
 
 社会においては、感覚がいきなり商品になることはありません。感覚と商品の間には、必ず、身体表現(音楽や踊りなど)か言語表現が存在します。

 このことと、私たちが社会において開発や発見をしていくことを考えますと、味覚に係る食事においてはデザイン性が感覚として養われる機会が増え、匂いに係る嗅覚を磨くことは発見に繋がる言語化の機会が増えることを示唆しているのではないかと思います。

 考えてみますと、匂いや香りを言語化することは難しいと改めて感じます。私自身の生活を考えると、この考察を深堀りしていくことは時間的にも難しいかと思いますが、これまで記事にしてきたことを考える上で得られたことをほんの僅かですが、ここに記しておきます。


 


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