「報われなかった努力」の先に


こんにちは、Yusonです。冬至ですね。
今日は「報われなかった努力」について考えてみたいと思います。


そもそも、努力する理由は人によって様々です。
自分の夢や目標を叶えるために努力する人もいれば、他人や家族のために努力を惜しまない人もいます。
「努力」は推奨される行為ですし、「頑張る人」が応援されるのは、そこにある種の「純粋さ」が含まれているから、かもしれません。


一口に「努力する」、と言っても色々なアプローチがあるはずです。
努力とは、「一つのことをコツコツ続けること」と思われていますが、「全く新しいことにチャレンジする」という勇氣や、「自分が今まで積み上げてきたものを部分的に改良する」という改革行為も努力の一部だと思います。
いずれにせよ、実際に行動を起こす、ということが継続的な努力にとって大事な「一歩」なのかもしれません。


血の滲むような努力の末、得られる結果は主に二つです。
一つは努力が「報われる」結果。ハッピーですね。(笑)
そして、二つ目は努力が「報われなかった」結果。寂しいですね。



最近、よく考えるのです。
この「期待した結果が出なかった努力」って、単なる「時間のムダ」だったのか。
その時の「結果」に繋がらなかったのなら、一体どこに繋がっているのか。


結論としてそれは、「次の出会い」に繋がっているのだと思います。
自分を成長させてくれるまだ見ぬ「他者」や、無意識に追いやっていた「未知の自分」にもう一度出会うため、その努力は確かに必要なプロセスなのだと強く思います。
なぜなら、「何もかも想定内」というのは、それ以上の「価値ある出会い」を生み出さないからです。No pain No gainなのです。



「そんなの甘えた言い訳じゃないか!」と言われたら、確かにそうかもしれません。
でも、「思い込みだけの自己像」が、その出会いによって少しでも変われたのなら、どうしようもなく嘆いていたあの経験が、きちんと報われていると思うのです。



*次回の更新は12/29です。(多分)
noteがお休みなら前倒しになると思います。
次回は今年最後の更新です!よろしくお願いします!



憂鬱な月曜日が始まる前に、私の記事を読んで「あ、水曜日くらいまでなら、なんとか息出来る気がしてきた」と思っていただけたら満足です。サポートしていただいたら、大満足です。(笑)