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中国のIT革命を支えてきたVC達のざっくり前史

皆さん、こんにちわ!

サイバーエージェント・キャピタルでインターン生として勤めている日本大好きな東大院留学生です。

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中国のスタートアップと言ったら、どんなイメージが湧くのでしょうか?

「ユニコーンの数が多い」
「イノベーションが早そう」
「政府との関係が強そう」

等々、ぼんやりとしたイメージを抱かれがちの中国のスタートアップですが、このような企業群がどのように生まれ、それを生み出した影の立役者であるベンチャーキャピタルが当時ほぼ未開拓だった中国の資本市場で、どのような道を歩んできたかは、中国国外の人々にとってほぼブラックボックスのような状態だったと思います。

このような中国のベンチャーキャピタルの発展ストーリーをざっとご紹介していくのがこの記事の目的です。

早速ですが、本文に入らせて頂きます。

中国のベンチャーキャピタルの歴史は大きく三つの段階があります。

①1990~2005 【生存期】 ファンドレースとエグジットいずれも海外で完結する外資のドルマネーファンドが業界を主導していました。一方で、地方政府主導の人民元ファンドが迷走しながら苦戦する時代でもありました。

②2005~2018 【擬似繁栄期】 創業板(日本でいうマザーズ市場)の開設から始まり、中国現地系ベンチャーキャピタルが勃興してきました。 全世界的な量的緩和、シャドーバンクの活躍、企業の財務レバレッジの増大などにより、アメリカが 60 年かけて成し遂げた成長を遥かに短い 10 年という期間で達成したのです。

③2018~現在 【理性回帰期】一つ前の段階で「非理性的な繁栄」とも言われるグローバル的視点での課題がこの段階で見え隠れし始め、Wework のディバリュエーションをその代表にユニコーンバブルが顕著になっていきました。 段階②で生まれた余剰の資金を消化しつつ、理性を取り戻そうとしているというのが今の段階です。

今回は、第一段階の生存期、中国ベンチャーキャピタルの前史を 2 分ほどで読み終わる文字数でご紹介します! 

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米国と同じように、中国における VC 業界形成の初期段階においては政府が大きな役割を果たしていました。「変化が早く、リスクが大きいハイテク技術の開発に対して、国レベルでの創業投資機構を設立することでサポートを行う」として、中国史上初のベンチャーキャピタル機関「中国新技術創業投資公司(中投公司)」が国家技術産業を支える使命を背負いつつ誕生しました。 それが追い風となって地方政府の力を背景に持つ擬似VCが大量に現れましたが、すぐに挫折しました。

多くの投資機関はエグジットを見つけられずそのまま途絶えました。当時中国の資本市場はまだ成立していなかった為、資本市場はほぼ機能不全の状態にあり、海外ですでに成熟していた IPO や M&A などの EXIT の手法を通して、投資機関が十分のリターンを収めることはほとんどありませんでした。

多くの投資機関は本来の軌道から逸脱して、不動産などの成熟産業に目を向けました。1998年に中投公司は不動産投資の失敗よって倒産に追い込まれ、この段階で中国系ベンチャーキャピタル機関はほとんど全滅の状態となりました。

しかし、同じ時期に、AIG、IDG、H&Q、Fidelity Ventures、GIC、Softbank、Goldman Sachsなどのドルマネーファンドを抱える外資VC ファームが中国本土に上陸しました。

中国VCの父と呼ばれる熊暁鳩氏が、1991年に米国のTufts University のフレッチャー法律外交大学院に在籍していた時にElectronic Businessという米国の出版会社のサマーインターンシップに参加しました。シリコンバレーやVC投資に関する報道に熱心に触れるほど起業とVCの魅力に取り憑かれた彼は、IDGのCEOと3時間の面談を経て仲間入りを決め、1,000万ドルの資金を受け取り帰国しました。そして明確なビジョンを持つ優秀な人材を集めた熊氏はIDGVC中国を創設しました。当時の創設メンバーのほとんどが今日の中国VC業界でキーパーソンとなっていますが、彼らは中国のインターネット業界全体に大きな影響を与え始めたのです。

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※網易新聞「熊晓鸽:曾被时代无情碾压 又幸运地被时代托起」

IDGに加えドルマネーファンドは二つの発展経路を示しました。 一つは、有名な外国企業や機関が中国で独自のチームを結成し始めたことです。たとえば、广子平を代表とする Intel Investmentや徐新が代表のBaring Investmentです。一方、改革開放後、中国本土で最初にチャンスを得たのは香港と台湾のベンチャーキャピタルでした。中国本土の市場シェアを取り始めた代表格は Acer Investmentの陳友忠です。

海外でインターネットバブルが起きたさなかの 1994 年、中国でインターネットの使用が初めて可能になったのです。Netease, Alibaba, Tencent, SINA など、まだ誰も想像できなかったのちの中国のIT巨人がこの時期に誕生したのです。

IDG は中国におけるインターネット流行の兆しをしっかりと読み取って、Baidu, Tencent, Ctrip, Sohu など教科書に書かれるような投資プロジェクトを成し遂げました。

1999 年にAlibabaがGoldman Sachs からエンジェル投資を受けました。その後、当時の担当者だったキャピタリスト蔡崇信がAlibabaの CFO として赴任し、Eコマース界を制覇していく過程で大きな役割を果たしました。

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※36Kr 「蔡崇信和马云的 20 年」

中国現地のVC 機関も深セン、北京、上海を中心に勢いよく成長し始めました。深セン市創新投資集団(SZVC)、北京中関村創新投資集団などもこの時期に生まれました。

中国系ベンチャーキャピタルの台頭は 2001 年最大のハイライトでした。1998年の第9回CPPCC 全国委員会の最初のセッションで成思威人民代表は、中国民主国家建設協会に代わり「中国のベンチャーキャピタル企業の急速な発展に関する提案」を提出。これを機にベンチャーキャピタルは中国で急速な発展の時期を迎えました。

その後、2001 年に中国系ベンチャーキャピタルは花開き、深セン市創新投資集団は阚治東の指揮の下、最初の「黄金時代」を迎えました。CEO を務めていた彼が出資をした企業の中で、延べ 34 社が国内外IPOを実現しました。彼が確立した「3 段階」の利益モデルは、その後の中国系ベンチャーキャピタル機関のリファレンスとしても今でも使われています。

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しかし、2 年足らずで中国系ベンチャーキャピタルは再度冬の時代を迎えました。創業板(中国版マザーズ市場)が予定どおりに開かなかったため、中国系ベンチャーキャピタルのエグジットの実現可能性が再び遠のいたのです。

同年、深セン地域だけでもほぼ 100社もの地元のベンチャーキャピタルが倒産したのです。深セン創業投資やダッヘンベンチャーキャピタルなど現在有名な地方機関も困難な時期を迎えました。

今日のIT巨人を次々と支えてきたベンチャーキャピタル達の発展の歴史は、決して順風満帆なものではありませんでした。必死にもがいたり、戦ったりしてきた中で、やっと花を咲かせたというこの過程がIT産業そのものの歴史です。

さて、このような絶えない逆風の中で、現地のベンチャーキャピタル達はどのように戦ってドルファンドと肩並べるようになったのか、まだ芽生えてきたばかりのテック企業を誰が、どのように押されて今の絶好調に至り、今後どのような未来へ向かっていくのか、引き続きNoteでじっくりとお届けしたいと思います。

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拙い文章を最後まで読んで頂き、誠に有難うございました。

なかなか大変な時期ですが、終わらない夜がありません。

疲れ果てた人々の為に、少しでもストレスを消せるように、小さな癒しを

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サイバーエージェント・キャピタル
Zhang Yusi  張宇思
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参照文献
※1「中国 PE/VC 简史:读懂一个时代」创投名堂 BP 刘林桓 2018 年
※2「中国 PE 和 VC 机构的族谱图是怎样的?」杨欢的回答 2016 年 知乎 
※3「中国 VC/PE 行业的 3 大阶段、5 大趋势和 2 大短板」CVS 投中数据 2019 年『2019 政府引导基金专题报告』
※4『中国创投简史』2016 年 清科创投界

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