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書評

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#読書の秋2020

書評 #15|ユートロニカのこちら側

 スマートフォンから離れると、不便さと同時に解放された感覚を覚える。世界中の人々をつなぐ糸。止めどなく押し寄せる情報の波。人はスマートフォンを操作するのではなく、スマートフォンと同化した。データ化された人格。データ化は均一化を生み、個性の喪失へとつながる。  小川哲の『ユートロニカのこちら側』を読みながら、ジョージ・オーウェルの『1984年』、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』、『ガタカ』や『マイノリティ・リポート』といった作品が頭に浮かぶ。細部の記憶はあやふやだ。

書評 #14|嘘と正典

 無限に広がる可能性。それを形成する感情や事象。「広がり」に対して方程式を立て、全容の細部を可視化する。小川哲の『嘘と正典』は感性と理性の洪水を読者に浴びせる。  著者は想像を創造する力に長けている。その力を使い、歴史の裏側に光を当てる。収められた『嘘と正典』ではタイムトラベルを使い、フリードリヒ・エンゲルスの無罪放免と共産主義の誕生をつなげた。  夢幻のようであるが、描かれる科学的な描写の数々によって、とても理知的な印象をもたらす。単純に夢を夢として語るのではなく、構成

書評 #13|下町ロケット ヤタガラス

 仕事の意義。誰のために。何のために。『下町ロケット ヤタガラス』は読者にそれを語り続ける。この後の文中では作品の核心や結末が示唆されているため、気になる読者は読むのを避けてもらいたい。  作品の軸として据えられた大企業と中小企業の対立。巧みなプロモーションにより、流れは終始中小企業側に傾く。しかし、その背景には過去に対する復讐がある。言い換えれば、復讐は自分のため。世のため、人のためを標榜する佃製作所の理念とは真逆だ。芯の脆弱な仕事は崩壊に至り、終盤の大逆転劇へと帰結する

書評 #12|幻夏

 怒涛のように刺激が繰り出される。生きる希望を示しながらも、姿を消した少年。二十三年の時を経て交差する失踪。血も流され、危険な香りが漂う。太田愛の『幻夏』はその圧倒的な舞台設定で読者を物語の奥深くへと引き込む。この後の文中では作品の核心や結末が示唆されているため、気になる読者は読むのを避けてもらいたい。  失踪した少年と最後の一夏を過ごした相馬。少年の母から命を受けた鑓水と配下で動く修司。刑事の相馬、探偵の鑓水。異なる視点から描かれる道筋は作品に適切な緩急をもたらす。  

書評 #11|下町ロケット ゴースト

 人間の本質。池井戸潤の作品に通底するテーマだ。 ものづくりには人の精神が宿る。『下町ロケット ゴースト』でも登場人物たちが縦横無尽に自問自答し、それぞれにとっての答えを見出そうとする。正解はない。答えを求める過程に人柄が映る。その濃淡が本作の醍醐味だ。この後の文中では作品の核心や結末が示唆されているため、気になる読者は読むのを避けてもらいたい。  濃淡の中にも不文律は存在する。それは仕事の対象だ。顧客は何を求めているか。そこに思考を巡らせる。その源は「お前らしさ」や「オリ

書評 #10|ライオンのおやつ

「生きることは、誰かの光になること」  小川糸の『ライオンのおやつ』はこの言葉に集約される。この後の文中では作品の核心や結末が示唆されているため、気になる読者は読むのを避けてもらいたい。  人の生死を扱った本作。重厚なテーマを手触りの良い文体と軽妙なやりとりによって包み、読者の心を開く役割を果たしている。  「死が受け入れられない事実を受け入れる葛藤」。主人公である海野雫に訪れる死への緩やかな流れ。死とは無縁の描写から過ぎ行く時間の感覚や身体の変化が生々しさと軽やかさを