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書評

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#サッカー

書評 #98|それでも前を向く

 相手を置き去りにするドリブル。突風のようなスピード感はどこまでも鋭く、宮市亮は日本サッカーに待ち受ける明るい未来の象徴だった。しかし、人々が思い描いたような輝きは現実に差すことはなかった。   「くらべる必要のないものまで、くらべてしまっていた」   アーセナルでの苦悩に触れ、心が痛んだ。重圧にいかにして向き合うべきか。心身の準備と言えばそれまでだが、サッカー界の頂点に位置する環境を生き、勝ち抜くための難しさ、過酷さが生々しく語られる。  同時に自分自身の未熟さにも触れた。

書評 #97|戦術リストランテVII 「デジタル化」したサッカーの未来

 サッカーの試合において「成功」と定義されるプレーの再現性を高めるべく、ポジショナルプレーに代表される戦術の自動化が流布されて久しい。本書の作者である西部謙司はサッカーの「デジタル化」「カーナビ化」「マニュアル化」という言葉に置き換え、消化された分かりやすい言葉を通じて概念を読者へと届ける。  デジタル化がサッカーにおける最先端であり、正解のような印象を受ける。守備から攻撃への円滑な移行を促し、その逆も同様だ。しかし、サッカーの要所であるゴール前に眼を向け、ゴールや決定機を

書評 #96|森保ストラテジー サッカー最強国撃破への長き物語

 日本代表を率いる森保一監督の手腕をつぶさに見つめる。サンフレッチェ広島の監督を務めた時代から遡り、強みと弱みを指摘。連続して使用される専門用語を追いかけるのは簡単ではない。しかし、明瞭な言語化はそれ自体に価値を感じる。「相手の戦術の裏返し」「戦略的ラッシュ」「主導的チーム戦術の欠如」などの表現は印象に残った。  特に「委任戦術」に対する評価には共感した。戦術は研究され、それを見越して先を読む力が求められる。言い換えれば奇跡は続かない。個人の成長など、得ている利益は皆無では

書評 #95|スタジアムの神と悪魔 サッカー外伝 増補改訂版

 サッカーの歴史を駆け抜けた気がする。そして、そこには感情がほとばしる。喜怒哀楽。縦横無尽に感情を湛えることができるサッカー。勝利と敗北の幅の中に極めて重厚な感情の濃淡が存在する。  サッカーは詩的でもある。官能的とも呼べるだろう。ウルグアイのモンテビデオに生まれたエドゥアルド・ガレアーノが紡ぐ言葉の数々は競技が内包する情熱的な美しさの象徴である。   「およそモラルというものについて、私はそのすべてをサッカーから学んだ」 「驚きを生み出す飽くことのない資質」 「サッカーは

書評 #94|もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚

 クロアチアという国と紅白のユニフォームを身にまとう選手たちをより身近に感じさせてくれる。延長戦やPK戦も含めた異常なまでの勝負強さに象徴される「粘り」を連想するが、それは歴史や経験から培われたものと認識させられる。   「クロアチアは小さい国かもしれないが、勇敢で闘争心があり、献身的で全力を尽くす国民なんだ」   数々の戦いを眼にし、クロアチアに抱く印象と合致する言葉に初めて出会った気がした。クロアチアを率いる、ズラトコ・ダリッチの言葉は像の輪郭を濃くする。  名のある選

書評 #93|オシムの遺産(レガシー)彼らに授けたもうひとつの言葉

 深い洞察による本質を見抜く力。イビチャ・オシムを一言で表現することはおこがましい。その視点と思考力は宇宙のような無限の広がりを帯びる。しかし、周囲の人々の言葉を通じてオシムに触れ、そんな言葉が頭に反響している。  考えること。その一つ一つに真剣に取り組むこと。サッカーに対して本気で取り組んでいたであろう、ジェフユナイテッドの選手たちはその真意を理解し、全身全霊をかける。論理的な精神論とも言うべきか。その二つが合わさって初めて、個人は本領を発揮できるのかもしれない。  本

書評 #92|ドイツサッカー文化論

 ドイツのサッカーを大局から細部まで見つめた一冊。ドイツ人のメンタリティについて繰り返し言及される。それは「大きな責任を自ら背負いたい」という願い。徹底した勝利へのこだわりが、そのように言語化されていることに納得する。  日本と比べ、ドイツにおけるサッカーの歴史は長い。しかし、その年数だけによって栄光が築かれているわけではない。体系立てられたプロサッカーとアマチュアサッカー。教育システム。主要な国際大会における敗戦を教訓とし、改革を推進する姿に合理性を重んじる国民性が垣間見

書評 #91|フットボールヴィセラルトレーニング 無意識下でのプレーを覚醒させる先鋭理論[導入編]

 フットボールにおける個人の上達。人それぞれが異なる強みや弱みを持ちながらも、それらをいかに発展させられるのか。無意識と耳にすると複雑に映り、その面も否めないが、教える側と教えられる側の双方から「上達する」ことの意味を言語化している。  教えられる側を瓶ではなく炎になぞらえている表現が印象に残る。それは一般的な仕事にも通じる。情報を詰め込むのではなく、成長や向上する意欲を燃えさせる。一方でいわゆる「楽しいこと」や「得意なこと」ばかりでは意欲が燃え続けることはない。人間は緊急

書評 #72|TACTICAL FRONTIER 進化型サッカー評論

 サッカーの奥深き魅力が詰まった一冊だ。「奥深い」という言葉を多用したくない。詳細をはしょり過ぎているように感じ、その一言で終わらせてしまうのがもったいないとも思う。「宇宙的」とでも表現すべきだろうか。正解はないが、尽きることのない、再発見と新発見のサイクルに今日も思いを馳せる。  突き詰めると、サッカーに勝つ最適解を世界中の人々は求めている。探求自体は複雑かもしれないが、行き着く先は往々にして簡潔だ。相手をいかに欺くか。いかにして想定を超えるか。綻びを生むか。その連続であ

書評 #71|女子サッカー140年史:闘いはピッチとその外にもあり

 「女性がサッカーをすること」は戦いの歴史であり、それは現在進行形であることが伝わる。  何と戦っているか。それは社会のルールであり、そのルールから利する、主に社会的実権を握っている男性ということになる。既得権益はもちろんのこと、男性の視点から定められた「女性の理想像」への抵抗。男女を問わず、人間としての本質を守る戦い。そう表現すると大袈裟に聞こえるが、決してそんなことはない。性別による制約を超越し、理想の自分を追い求める人生を。他人と競い合わないように育てられた女性の闘争

書評 #70|セリエA発アウシュヴィッツ行き〜悲運の優勝監督の物語

 衝撃を覚える作品名。「セリエA」と「アウシュヴィッツ」の二つの言葉は僕にとって水と油のように交わらない。しかし、時代によって常識が変わることも事実である。第二次世界大戦が席巻した当時のヨーロッパにもサッカーは存在した。しかし、サッカーも、サッカーに携わる人々も、人種差別主義という名の圧倒的な力にひれ伏し、価値観をも覆された。それは世界各地であらゆる差別が横行し、戦争が続く現在も繰り広げられる日常だ。世を魅了し、喜怒哀楽を発露させるサッカー。その魅力と、それが平和の上に成り立

書評 #69|バルサ・コンプレックス “ドリームチーム”から”FCメッシ”までの栄光と凋落

 歴史を駆け抜けた気がする。FCバルセロナの栄枯盛衰。「大聖堂」と表現されるクラブはバルセロナで現在も完成に向けて歩みを進める、サグラダ・ファミリアと重なる。地元の象徴であることはそのままに、ヨハン・クライフの手によって異常なまでにクオリティを求めるクラブへと進化し、世界的な名声を得るに至った。奇跡のような高みへと到達した一方、その過程は再現性に乏しい奇跡であったことも否めない。  サッカーを体系立てたクライフ。合理性の追求がその根底にある。当然ながら、体現することは容易で

書評 #68|ONE LIFE ミーガン・ラピノー自伝

 アメリカの女子サッカー選手、ミーガン・ラピノーの物語。本作を手に取る前から、卓越した技術とそれに勝るとも劣らない人としての存在感が印象に残っていた。  ピッチ上はもちろんのこと、同性愛者として、社会における少数派の権利を守るために彼女は生きる。それはまさに戦いだ。ラピノーは公平であることを重んじている。とてもシンプルな論理。強烈な反骨精神と勝利への執着を紡がれた文字の一つ一つに感じた。冒頭で触れた人としての存在感は意志の強さと同義であろう。  そんな彼女をして、同性愛者

書評 #67|戦争をやめた人たち -1914年のクリスマス休戦-

 人間の内にある善意に光を当てる。形は一つではないが、戦争を構成する人々の大半は無名の人々によって行われ、その結果は歯車が狂ったかのような悲劇でしかないことを実感する。  そんな狂気に歌が息吹を流し、サッカーが戦う者たちの心をつないだ。ソフトパワーの力を再認識し、人それぞれではあるが、大切な何かを見出すことができるのではないだろうか。