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書評

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2024年1月の記事一覧

書評 #89|自由研究には向かない殺人

 自由研究の題材として過去に起こった事件を据え、その全貌解明に向けた一挙手一投足を追った作品。イギリスの片田舎という決して大きくはない舞台で起こる群像劇。特に治安が悪いわけではないが、事件が常に脳裏をよぎり、コミュニティに根づいた人間関係や習慣から伝わる閉鎖的な雰囲気も重なり、ちょっとした恐怖感が常に広がる。  力強く、颯爽と。そんな言葉が似合う主人公のピップ。賢明で物怖じしない姿勢が道を開き続ける。女子高生の自由研究に関係者がここまで口を開くとは思えず、好都合なことがしば

書評 #88|教団X

 力がみなぎっている。中村文則の『教団X』はそう思わせる。人間の心奥へと潜り続け、そこにある陰陽を見つめ、その壮大さと同時にシンプルさも感じ取る。予想していたような「カルト教団を中心としたサスペンス」ではない。  シリアスさとコミカルさも共存している。その筆致でエネルギーを読者に放出する。スピード感満載。グロテスクであり、エロティック。人間と宗教の関わり。宗教の意味をも問う。

書評 #87|街とその不確かな壁

 『街とその不確かな壁』は「拠り所」のようだ。街と壁は内に存在しているように感じるし、実世界の比喩でもある気がする。自らも気づいていない、意識したこともない心の核のようなものに思いが向く。それは深海奥深くへと潜るかのように孤独であり、静謐な旅路を連想してしまう。  表と裏。外と内。肉体と精神。そうした二面性を通じ、村上春樹が何を伝えようとしているのだろう。そこに人間、人間としての営みへの問いを感じる。社会と個人。個人の中に抱える光と闇。多層性。そんな言葉に行き着く。  強

書評 #86|運転者

 喜多川泰の『運転者』は心温まるファンタジー。  タクシーの運転手が語る、運気が上がる術。それは誰しも耳にしたことがあろう「他人の幸せのために生きる」こと。「徳を積む」とも表現できる。利己的にならないこと。上機嫌でいること。不機嫌。焦燥感。そういった状態や感情には苦い記憶が伴う。  当たり前かもしれない。しかし、その当たり前を心に届け、生きる背筋を正してくれるような感覚が味わえる。爽やかな啓発本と言えるか。

書評 #85|審議官 隠蔽捜査9.5

 『隠蔽捜査』シリーズのスピンオフ『審議官 隠蔽捜査9.5』。主人公である竜崎伸也が登場する回数は少ないが、その存在感が薄れることはない。妻、娘、息子と周辺にいる家族に視点を移しても、竜崎がもたらしている影響力や信頼を描きながら、関わりの中に存在するドラマをミステリー作品として昇華させている。  短編集ではあるが、安易さやチープさといった不満要素も見当たらない。読む手を前進させる力は健在だ。適度に力が抜けた感も好印象。原理原則を貫き、捉え方によっては堅物である竜崎を愛らしく

書評 #84|変幻

 『同期』シリーズを完結させる『変幻』。作品を貫く謎。臨海地区で見つかった刺殺体。その犯人と消息を絶った仲間。スピード感と臨場感あふれる展開。真相へと進める歩の丁寧さ、緻密さは今野敏らしい。外れがない。  魅力の多い作品ではあるが、疑問として浮かぶ要素がある。主人公の宇田川亮太だ。物語を前進させ、事件を解決へと導く上で欠かすことのできない存在。しかし、経験の浅い刑事ではあるが、それ以上に自信のなさ、特徴のなさが感情移入を妨げる。それはまるで強風の中を漂うたこのよう。質問を多