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2022年7月8日。

信じられないことが起こって心がずっとそわそわした一日。

今、日本の政治に対して、日本の現状に対して思いを述べるのは控えたい。
でも、今の私の心の中にあって書き残しておきたい想いがある。

それは、命の尊さについて。

この11日間、ひとりの女性として、ひと一人がこの世に生を与えられ生まれ育ち人生を全うする奇跡について何度も何度も考えた。

昨年の11月に流産をした。

35歳以上は高齢出産になるので一回目の流産はよくあることだと言われ、母親のせいじゃないからあまり気を落とさずにと言われたがやっぱり哀しくて絶望という言葉がちらついた。
気にしないように前向きにと思って手術の次の日に仕事もすぐに再開し日常に戻した。

私のパートナーは幸いとても心優しく理解がある。
身体の痛みは分け合えないけど、心の痛みは寄り添って痛みを軽くしようとしてくれるひと。

そんな彼のサポートもあって、手術を受けた後もやんわりと基礎体温を測ってみたりサプリメントをのんだり「妊活」っぽいことをしてみたけれど、逆にストレスになって毎月生理が来るたびに落ち込んで心が持たないのでやめた。

そうしていたら、流産の手術から5か月後、2回目の自然妊娠。

信じられなくて妊娠検査薬を10回は試した。婦人科に検査に行き妊娠が確認出来き、6週目には心拍確認ができた。

ゆるいつわりの症状もあり、立ち眩みをしたり、とにかくおなかがすいたり眠かったり妊婦の症状が確かにあった。妊娠糖尿病の可能性があると言われ食事療法もした。一日4回血糖値を自分の指に針を刺してチェックして、食べたもののんだものの記録と2週間ごとのお医者さんとのフォローもした。お米も甘いものも全く食べれずつらかったけど、赤ちゃんのためだと我慢して普段全くしない食後の運動もした。

妊娠11週目の検診。

ちょうど、その週はドイツの役所での結婚の登録式の週だったので彼も私もお休みをもらっていて二人で婦人科へ行った。

超音波検査をしてみたら胎嚢も大きくなっていて胎嚢の中に赤ちゃんらしきものも大きくなっているのが見えたけど、心臓が動いているのが見えない。お医者さんは赤ちゃんの心臓が動いていない、赤ちゃんが育っていない、残念ながら流産ですとつらそうな顔で私の肩に手を添えて、残念ですと私と彼に伝えた。

ショックで一瞬理解できず頭が真っ白になったけど、彼がなんとも言えない哀しい顔をして私を抱き寄せて、ああこれは現実なんだと涙がすぅーっと流れた。

婦人科検診のその足で、前回流産の手術をした総合病院へ行った。
前回は薬を飲んで自然流産するように促したけど、ただただ気持ち悪くなるだけで結局赤ちゃんは出てこず手術をしたから、今回はすぐに手術をしてもらうようにお願いした。すぐに手術の予約はできず、一週間後に手術の日程を設定してもらった。

2回目の流産の事実を知った2日後に、彼と私はドイツで正式に結婚し夫婦になった。

彼のご両親は二組いる。本当は彼のおばあちゃんと彼の二組のご両親と通訳で手伝ってくれた私の元同僚だけ参加の小さな会のはずだったけれど、彼のお兄さんの結婚式参加のためインドへ行っていた彼のお母さんと再婚相手のお父さんはフライトキャンセルのためドイツに戻れず不参加。当日お誕生日だったおばあちゃんも体調不良で残念ながら参加叶わず、彼のお父さんと再婚相手のお母さん、私の元同僚と私たちのさらに小さな会になった。

ケルンの旧市役所で行われた式は短い時間だったけれど、天気も快晴で滞りなく進んだ。ちゃんと結婚の意思確認や書類のサインなど正式に丁寧に進み、とても暖かい雰囲気で祝福を受け幸せだった。

ケルン市内の私たちのお気に入りの和食レストランで特別にランチコースを用意していただきケーキまで準備いただいて小さなお祝いをして、ケルン大聖堂を背景に写真も撮り帰宅。

次の日に引っ越しというバタバタのスケジュールで、結婚式の夜に新居のカギを受け取りにいかねばならなかった。
車で移動中にだんだん気分が悪くなり、出血が始まった。
大雨が降りだし嵐の中新居のチェックなどしてケルンの部屋に夜の23時頃に戻った。

24時過ぎから徐々に出血量が増え、子宮が絞られるような激痛が30分ごとに襲ってくる。ベッドで寝ていられるリビングのソファに横になるも痛みで眠れない。

見たことのない量の血が出て、その血の量に恐怖心でいっぱいになりわんわん声をあげて泣いた。

彼はベッドルームのドアを常に開けていつでも助けられるように夜通し起きてくれた。自然に身体の外に赤ちゃんが出ようとしてくれていて、いまは痛くてつらいけど結果的にはそのほうが私の身体にとっては負担がないはずだから耐えてと身体をさすり励ましてくれた。

朝7時過ぎに、最大の痛みが襲ってきてもうトイレからリビングのソファへ戻ることもできず、立ち上がることもできず、這いつくばって最後であろう血の塊を身体から出した。そのあとは出血量はありふらふらするものの痛みはびっくりするほどなくなった。

8時から引っ越し会社の人たちが来てくれて見る見るうちに家具を運び出してくれた。

マットレスで横になりながらげっそりしていて引っ越しどころじゃない私をインドから帰ってきた彼のご両親が迎えに来てくれアーヘンの彼の実家で看病してくれた。

2回目の妊娠で心拍確認ができ、彼のご両親は初孫が生まれてくることを心から喜んでくれたいたので、申し訳ない気持ちでいっぱいで、お母さんに合った瞬間、ごめんなさいと泣いてしまった。

お母さんはやさしく私を抱きしめてくれて、大丈夫よ、あなたは愛されているのよと言ってくれた。

2回目の流産。

幸い妊娠は2回とも自然にしたものの赤ちゃんが育たなかった。
出血は少なくなったもののまだ続いている。
自分で調べたら「不育症」ということなのかもしれない。

今週は病欠をもらった。仕事が好きな私は隙あれば仕事してしまう。そんな私を止めてくれて無理やり休ませてくれたのは彼の配慮のおかげだ。

気持ちが落ち着いたら、ちゃんとお医者さんに診てもらって何か対策できるのか検査するかもしれない。まだちょっと時間が必要かなと思う。

自分が妊娠するまで、妊娠したらおなかの中で自然に赤ちゃんは育って生まれてくるものだと思っていた。でも妊娠すること自体奇跡で、生まれてくるまでおなかの中で育つ一日一日が奇跡の連続だということを妊娠して流産して初めて知った。

20代のころは自分のことでいっぱいだった。自分の人生やキャリア、恋愛のこと、友達との楽しい日々。駆け抜け、必死で走った。子供をいつかは産み育てたいという気持ちはあったものの一度目の結婚では縁がなかった。シングルに戻った30代前半も人工的なことには抵抗があった。いつかいい人とまた巡り合ったら子供を生んで家族ができたらいいなと思っていた。結婚しなくてもそれはそれで楽しいかなくらいに思っていたし、30代の自分の生き方も気に入っていた。

常にチャレンジをして人生を切り開いた先に35歳の最後で巡り合った運命の人との間に突然与えられた命。

当たり前に健康に生まれてくれると思ってたけど当たり前はなかった。

またきっと私と彼の間に天国にまた戻っていった赤ちゃんは帰ってきてくれると信じている。
私の年齢は変えられない。運命も変えられない。
今まで一生懸命生きてきたんだもの、あきらめずに夢を実現するために努力してここまで運命を切り拓いてきたもの。ようやく一緒に手を取って人生を歩んでいけるパートナーに出逢ってより幸せな一日一日を作り上げているもの。

私は日本を離れて今年で13年目になった。
日本の外にいるけど、海外で日本人として日本人であることを誇りに思って日系企業の採用を生業に生きてきた。

いろんな国の人たちとのかかわりの中で、日本人であることで不利になったり攻撃されたり生きづらかったりした経験は幸いない。
日本は世界の中でも特別な国としていまでも認知されているし、尊敬されている。すべてが誇れる歴史ではないけれど、私たちが世界で日本人として生かされているのは先人が積み上げてきた日本があるから。

いま世界は何が起きてもおかしくない。
日本は平和だから生きている間には起こらないだろうと漠然と思っていた戦争だって起こっている。
もうどこかの遠くの国の戦争じゃない。

今日、賛否両論があるとしても日本のために心身ともに身を粉にして多大な責任を負ったひとが白昼に殺されてしまった。いろんな意見があると思う、感じ方や捉え方は人それぞれ違うと思う。

でも一つ今の私が言えることは、人の命を正しさを武器に奪ってはいけない。一人一人の命が与えられた奇跡で尊いものだから。誰もが母親から生まれた。いろんな母親がいると思う。でも生まれるまでの10カ月間おなかの中で育っているか毎日毎日不安な気持ちで過ごし命がけで出産した母親がいるから今生きている。私は残念ながら10カ月おなかの中で赤ちゃんを育てられていないけど、希望は失わずに前を向こうとしている。

私の中に宿った命は二回奪われた。
運命に奪われたのかもしれない。
本当の原因はわからない。
生まれてこなかったけど私にとっては立派な命。

もしこの尊い命が、他人に奪われたら。
自らの手で奪われたら。
災害で奪われたら。
病気で奪われたら。

どのような形であれ、2回奪われた命は確実に私に命の尊さを教えてくれた。
命はつながっている。
関わる全ての人たちに影響を与えている。

だからこそ、奪うのではなく、攻撃して踏み倒すのではなくて
愛を与え、落ち込んでいたら救い上げ、支え合い、共に認め合い高めあったほうが世界はもっと良くなる。

そう信じて明日から進んでいこうと思う。




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