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去年の今頃はバルセロナにいました。初めてのドイツの冬の寒さと暗さに加えロックダウンで知り合いも増えずさみしさから逃げるためバルセロナへ戻ることを決めた私。シェアフラットのフラットメイトとご飯を食べながら寒空の中1時間待って受けたスペインに渡航するために必要なPCR検査をドキドキしながら待っていたっけな・・・。

バルセロナのクリスマスから新年は大学院の友人たちと過ごしてまたさみしい思いでデュッセルドルフに戻りました。

バルセロナのバンカーから見渡せる街の夜景

バルセロナで新年を迎えた2021年もまた人生が大きく動いた一年になりました。

ドイツ人のパートナーとの出会い

バルセロナで前にお付き合いしていた方と再会するもなんともはっきりしないままドイツに戻り悶々としていた中、もう私は人を心から愛することってないのかな、なんて思っていたときに出逢ったドイツ人のパートナー。
ロックダウンで人に会うこと自体ができない中、人と会って話すことでエネルギーがもらう超外交的な私からすると一度も旅行すらしたことのなかったドイツで誰も知り合いがいない中ロックダウンになりお客さんの訪問すらできない、レストランやカフェすらしまっていたから知り合いからつなげてもらった友人の友人たちとも仲良くならないまま連絡が途絶えてしまう・・・旅行もいけないなどかなりさみしい数カ月を過ごしていた私。日本やタイの友人とビデオコールして励ましてもらいながらも、自由に旅行もできず日本やタイにも帰れない状況で、これからドイツに本当に居たいのかな。。。キャリア優先でヨーロッパで新しいチャレンジをするために来たけど、これって幸せ?と頭の中でぐるぐると考えていたときでした。

普通にしていたら出会いなんてないロックダウン期。とにかく知り合いが欲しくてアプリでデートをしたりしていたのですがなかなか真剣にお付き合いができるような殿方とも出逢えず、もういろいろ面倒だしちょっと休憩かななんて思っていたときにふとマッチして近くに住んでいた今のパートナー。ちゃんとお付き合いできる人をお互い探しているということを事前に確認してくれて、「会ってみないとわからないと気負いせずまず会ってみよう」と会ったらとっても優しくて初めて会ったときからリラックスでき、初めて逢った日の最後に私だけにフォーカスしたいと言ってくれ、会った週の次の週末にたまたまご両親が訪ねてくるからと私に紹介してくれたパートナー。

突如現れた王子様という感じで私の人生にやってきた彼ですが、私より10歳年下。建築の修士を終える数カ月前に知り合ったので今年の夏から初めて正社員としてキャリアをスタート。ドイツで生まれ育ち、イギリスに半年ほど語学留学した以外はドイツを離れて生活したことはなく、旅行もヨーロッパ圏内。大家族の中育ち、双子で兄弟たちと育った末っ子。

20代半ばで私よりずっと年下だけどすごくしっかりした考え方をするひとで、たまに頑固で硬くて思ったことを全部ストレートに伝え、相手にも伝えてほしいひと。でもすごく優しいし、私を幸せな気持ちにしたいといつも思って行動してくれる人です。

年齢も国籍も育った環境も家族構成も、キャリアのステージも、好きなことも全然違っている私たち。当然考え方の違いや文化の違い、コミュニケーションや表現の違いだらけでぶつかったり、行き違ったりこの一年でもたくさんありました。でも同じ日本人でも違う人間なら同じ考えや価値感を持っているわけではなくたくさんすれ違ってしまうもの。違いを認めてちゃんと話を聞き、理解しあう姿勢をもってお互いに歩み寄り努力することが大切なんだと思います(簡単じゃないけどね。)

妊娠から流産の経験

(妊娠はとてもうれしく流産は同時に悲しい経験だったので普通は内に秘めて乗り越えるのだと思うのですが、そんな女性が多いからこそ私は書き残しておきたいと思いました。)

10月の初旬に妊娠が発覚しました。いつかは子供が欲しいとずっと思っていたものの、前の結婚や離婚、前のパートナーとは7年も一緒にいたものの恵まれず、キャリア優先で居場所をタイからスペイン、ドイツと移動して気づいたら30代半ばになっていた私。子供は大好きなのでいつかは自分の子供が欲しいと思いつつも、同世代の独身の友人との話題に上がる卵子凍結などにはちょっと抵抗がありました。

でも実はなのですが、ドイツ人のパートナーと出会ったとき、現実的な年の差や人生のステージの差がある私たちなので、将来のことを考えると私が確実に身体的なリミットを迎えるため、私と彼の将来的に子供を家族に迎えたいという希望を今すぐでなくても近い将来叶えるために「卵子凍結」のオプションを提案してくれた彼。抵抗がありながらも一度話を聞いてみて考えようとなりクリニックにて検査をしました。幸い私も彼も問題はなく今がタイミングでなくても卵子凍結というのは時間的な猶予を与えてくれるオプションというくらいでやってみてもいいのではと話していました。ドイツではキャリアを大事にしている女性も多く、30代の早めの段階で卵子凍結をする人も多いようで、費用も全部で40万円程度で手が届く範囲でした。

そんな中、自然妊娠した私。彼も驚いてはいたものの、とても喜んでくれ私の母も彼のご両親も泣いて喜んでくれました。

妊娠初期は安定期に入るまで流産の可能性が高いため、あまり周りに妊娠について伝えないほうがいいと様々な記事に書いてあったため、本当に親しい人だけに伝えました。でも、妊娠初期は婦人科の先生との検診も4週間に一度でその間の小さな変化について相談を気軽にできずインターネット上の情報だけではいろんな意見があってわからず、国によっても対応が違ったりして毎日不安でいっぱいでした。出産経験のある親友と海外での子育て経験のある友人などには相談をしたものの、準備もなく突然妊娠しているという状態になった私は身体の変化を感じながらも、はじめの検診から次の検診まで本当に赤ちゃんが育ってるのかわかない状態。旅行中に入浴したら貧血で倒れそうになって、あとで調べたら妊娠中の長時間の入浴や高温での入浴は危険と書いてあってぞっとしたり、少し転びそうになっただけでもおなかが心配で泣いたり不安定な日々でした。

そんな時に、不正出血があり病院へ検査に行ったところ、胎嚢はおおきくなっているけど中に赤ちゃんが見えないと言われました。一週間後に再検査して同じ状態だったら通常の妊娠ではないので流産させないといけないと言われたとき、初めて絶望という言葉が頭をよぎり涙が止まりませんでした。

結局胎嚢の中でうまく赤ちゃんが育っておらず中絶させることになりました。ドイツは婦人科では薬での中絶か手術かなどの診断ができず、総合病院へ手紙を書いてもらい、自然治療か薬での中絶か手術か選んでくださいと言われ、私はまずは胎嚢を外に出すための薬を飲みました。これが副作用でとにかく気持ちが悪く食べたものは吸収されずすべて外に出るものの、胎嚢は出てこず一週間で3キロもやせてしまいとにかく苦しかった。仕事もできずお休みをもらいずっと横になっていたものの眠れもしないという苦しい一週間でした。

薬が効かなかったので、結局手術をすることになりました。血液検査をしたところ血小板の数値が平均より低いということで別に血液専門のお医者さんに再検査をしてもらうことに。ドイツの仕組みなので仕方ないのですが、流産させることになって精神的にも身体的にもきつい中いろいろな病院をたらいまわしにされるのが本当につらかったです。薬が効かなかったのでかかりつけの婦人科の先生に診察してもらった時も、こういう場合は総合病院に行きなさいと強い口調で言われ、総合病院の先生には薬を飲み終わったら婦人科に戻るように言われていたので混乱して恥ずかしながら婦人科の先生の強い口調にその場で涙を流してしまいました。伝え方って大事だと思うんですよね、お医者さんでも私の仕事であるコンサルタントも仕事上の関係は身内でも友人でもないので悲しみを分かち合えないかもしれない、でも気持ちを思いやることはできると思うんです。

そんな中、同じ時期に血液検査の再検査をしてくれた女医さんに事情を説明すると、「私もあなたと同じくらいの年齢で流産を経験したから気持ちがよくわかるわ、いまは娘が産まれて2歳半よ、多くの女性が流産の経験をしているけどみんな言えないだけ、あなたが悪いんじゃないから心配せずに前向きにね、必ず赤ちゃんは戻ってきてくれるわよ」と声をかけてくれとても心が救われました。初め本当はその日に血液検査をするのは難しいと言っていたのですが、事情を説明するとその日中に検査ができるように調整するわねと調整してくれました。感謝を伝えると、「私にできることはこれくらいだから」と笑顔で肩に手を添えてくれました。

流産をしたことは本当に悲しいことだったのですが、同時に私だけでなく多くの友人や世の中の女性が同じような経験をしているけど誰にも相談できないまま悩んでいたり、一人で抱え込んでいることを知り違和感を感じていました。私はまだ流産して間もなく次の妊娠に前向きに取り組もうと彼も言ってくれているので流産したけど前向きに次にどうしたらいいかというところまで気持ちを取り戻すことができています。まだ妊娠して無事に出産しましたというところまでたどり着いてはいないのですが、同じような経験をして精神的につらかったひとや今まさに初めての妊娠で不安でいっぱいの女性がいたら私の心に寄り添ってくれた女医さんのように共感して心に寄り添えるんじゃないかなと思っています。お医者さんのはなしだと年齢にもよるのだと思うのですが初めての妊娠をした女性の3割くらいは流産した経験があるとのこと。でもやっぱり流産を経験した人が周りにいない、もしくはいても知らないと、同じような状況になったとき問題があると私が悪いのかな?何か悪いことしたのかな?と自分を責めてしまう。でも、そうじゃなくて、あなただけじゃない、多くの人が経験しているけど言わないだけ、望めば必ず赤ちゃんは戻ってきてくれるよと声をかけられる人がいるかどうかで心の回復は変わってくると思います。

私の中学からの大親友が今まさに出産間近なのですが、私の妊娠から流産までの間離れていてもずっと寄り添ってくれていました。彼女から流産させることが決まったときに、「赤ちゃんが忘れ物を取りに行ったという話」を聞いて、流産したとしても忘れ物を取りに帰ったらまた戻ってきてくれるよと教えてくれたから、それを信じて前向きに薬の治療や手術にも取り組めました。私もまた戻ってくれることを信じて自分の身体を大切にするよ、だから同じような悩みを持っている人の気持ちの支えになって一緒に乗り越えようねと今は思っています。

2年半ぶりの第二の故郷バンコクへの帰省とプロポーズ

人生初の全身麻酔の手術を終えた私に、以前に調べていたタイが11月から開国することが決まったので一緒に行けたらいいねと話していたことを再度提案してくれたパートナー。前向きに捉えていたとはいえ、やっぱりまだショックが心に残っていた私には仲のいい友達と会って慣れ親しんだバンコクへ行くのがいいんでは?と背中を押してくれ、彼のお誕生日あたり12月半ばにバンコク行きを決めました。

11月からワクチン接種をしている観光客を一日隔離で始めたタイ。すぐに決めて早いうちに里帰りしてよかったです。12月12日~22日まで滞在したのですが、オミクロンの影響もあってか滞在中にTest &Goでの観光客受け入れを中止することが決まり、本当にラッキーにもタイに滑り込むことができました。

初めてのアジア、タイ旅行をする彼。自分のお誕生日旅行も兼ねていたので私も彼も本当に楽しみにしていたタイ旅行でした。日数が限られていたので、バンコクのみの滞在でしたが会いたい人がたくさんいて、食べたいものがたくさんあったので毎日予定を詰め詰めに計画していました。

幸い早朝着便だったこともありPCR検査の結果が同日の夕方にはでて、一日隔離をしていたホテルオークラで快適な隔離滞在をしていたのですがディナータイムから外に出ることができました。鉄板焼きを食べてみたいとかねてから希望していた彼とホテルオークラの山里へ行き、すてきなディナーを楽しんだ後、バンヤンツリーホテルのスカイバーVirtigoへ行く予定にしていたのですが、一旦お部屋に戻ろうとなりました。お部屋に戻ったらベッドに座ってと彼に言われました。彼は照れながらその場で目の前にひざまずきプロポーズをしてくれました。夜景の見えるスカイバーなどロマンチックな場所でプロポーズをすることも考えたようですが、恥ずかしいので二人だけのプライベートな場所で。

婚約指輪は彼が自分でデザインした私が好きな色ピンクとグリーンが混ざったトルマリンを使った指輪。私が好きなものをよくわかっているセンスのいい彼なので本当に素敵な指輪と飾らない素直なプロポーズの言葉をくれとてもうれしかったです。悲しいこともあったけど、ぶつかりながらも問題に向き合ってこれからも一緒に助け合っていけるといいなと思います。(結婚の大変さは経験済みだけどそれもバネにして人生楽しんで幸せでいないとね。)

プロポーズでお互い涙したあとバーで改めてお祝い。

2021年、また人生が大きく展開した一年になりました。マメにブログを更新したいけどできなかったからいつもひとつひとつが長文になりますが、来年は、来年こそは頻度を上げて更新していきたい・・・(毎年抱負の一つに書いてるけどできてない、がんばります。)

今日で仕事納めです。
コロナの中で制限がありながらも今年は日本にもタイにもスペインにも帰れて、会いたい人たちにも全員じゃないけど会えてうれしかったです。
来年はもっと楽しく幸せな一年にしていきたいです。
ドイツに遊びに来てもらえるような状況になるといいな、日本にもタイにもスペインにもまた帰りたいです。どんな時でも希望をもって、健康第一で!

それでは、皆様もよいお年をお迎えください。


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