逃避行

なんだかいろいろ嫌になってしまって、急遽温泉宿に一泊することにした。

いろいろというのは、日常生活そのものであって、嫌でも入ってくるニュースや、職場のこと、仕事のこと、掃除洗濯食事買い物、これからのこと、いろいろだ。
もう今週末は何もしない、何も思い煩わないのだと固く誓って、宿の予約を取り、小説を2冊と着替えだけ鞄に入れたら、10分で逃避行の支度が完了してしまった。

温泉宿は前々から泊まってみたかったこじんまりとした雰囲気の良いところで、自宅からは車で30分かからない。一日10組くらいしか受け入れられない大きさなので、通常は事前に予定していないとなかなか予約も取れないはずのところなのだが、このところの自粛の影響か、今回はあっさり予約できた。私にとってはラッキーだったが、業界的にはしんどいことだろう。

到着して、1冊目の小説を3分の1くらい読了したところで、ひとっ風呂浴びて、寝転がる。夕飯を待ちながらこれを書く。

静かだ。

私はわりと思い立ってすぐに出るタイプなのだが、そういえば同期のNは慎重派でなんでも半年前から計画を立てるタイプだったな、と思い出す。
行く場所も、泊まるところも、経路も、なにもかもを綿密に計画を立てて、持っていくものも吟味して、指折り数えて当日を待つのが好きなのだと言っていた。
私にしてみれば、何かがあって行けなくなるリスクや、気分が変わってしまうことを考えると、どんなに頑張っても予定を立てるのは1ヶ月先が限度だし、ざっくりとしか決めない。
計画派と突発派。私たちはある意味対照的だった。いつも突然旅行に行ってきてお土産を渡すとものすごく驚かれるので、その反応をみるのが密かに楽しみだったりもした。

N。Nは今度の人事異動でここから遠く離れた事業所へ赴任することになった。引っ越し自体も慣れていないし、しかも突然なんて全く性に合わないだろうに、Nはそれを静かに受け入れていた。偉い。
3年は戻らないので、下手するともう私と会うことはないかもしれない。じわじわと寂しい気持ちになる。

戦地に行くわけでもあるまいし、何をそんなに神妙になっているのかと思わないでもないけれど、私は今が続くという期待が薄い方の人間だ。来年、再来年、どこで何をしてどうなっているか、全くわからない。私の身に重大な何かがあるかもしれないし、仕事を辞めてどこか遠くへ行っているかもしれない。全く何も、わからないのが未来だ。愛すべき素晴らしい同期は、後悔のないように送り出してやりたい。

などと考えていたら夕食の時間になった。

日常を遮断して過ごす夜は、少し落ち着ける。手の込んだおいしい料理と、ほぼ貸し切りのいい温泉と、とっておきの小説と、心地よい布団と。なにもかも忘れて、悩むのをやめて、こころを浄化して、生まれ直して、週明けからやり直す。

贅沢な逃避行。たまには、こういうメンテナンスも、ありだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?