ある仕事

ひたひたと忍び寄ってきては、ほらほら年度末ですよ〜というのを脳内に囁いていくような妖怪が、このところ多数出現している。気がする。
あぁそうだった。そうでしたね。とカレンダーを見ては顔を覆う現象がそこかしこで起こっている。

他部署からの通知、いろいろな締切、ケリをつけなければならない問題とリミット、来年度に誰がどこにいるのかわからないことによるそわそわ。決めなければならないことはあるのに、その構成要素は何一つ確定していない。空中で竹ひごの骨組みを組み立てているかのような浮遊感、浮揚感、不安感。
その竹ひご骨組みもセロテープで繋いでいるみたいな脆弱さであるにも関わらず、そこにいずれぺたぺたと紙を貼って家にせねばならない。それを沼地に置いて、ばっちり堅牢な家です、という素振りで人に見せなければならない。そして、あとから、ばっちり住みました、ということにしなければならない。まったくなんてことだろうか。
何でこんなことをしているのか、などと嘆いても仕方がないので、とにかく予定を区切って分担をして作業を進める。そういうことになっているのだから、そうするしかない。全員がもれなく、なんだかな、と思いながらやる作業というのはたいへん苦痛だ。意味やそもそも論などを考え出すと全く進めなくなる。大体において、は、数秒に一回言いたくなるが禁句である。いかに早く意味を諦めるか、目を瞑って走り抜けるか、そういうことが求められている。

みんなで、というのは、実質的には、誰もいない、ということだ。
みんなで書く、というのは、誰も書かないということ。
みんなで決める、というのは、誰も決めないということ。
あるように見えるものはすべてただの空洞。
ため息は空回り。

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