なぜ詩が好きか

私は詩というものが好きだ。
書くのも、読むのも、うたうのも。

ずっと分からないで好きだった。
なんでか分からないけど好き。うまく言えないけど、なくちゃいけないような気がする。
そんな説明しかできないでいた。

大学のときの専門も詩だった。
歴史、修辞、音韻、いろいろ学んだが、いつも腑に落ちない感じがしていた。
文学理論の研究をしながら、ほんとうにやりたいのはこういうことじゃないような気がしていた。

なんで好きなのか。なんで惹かれるのか。なんで求めるのか。なんで書くのか。なんで残すのか。なんで遺るのか。
私だけでなく、そういう人がたくさんいつづけるということも不思議だった。
何百年も、何千年も、人は詩をつくるし、うたう。どうして。なんで。

そんなことがずっと引っかかって、時折物思いにふけるときにひょっこりと顔を出したりして、ちょくちょく考えていたのだが、最近なんとなくわかってきたことがある。

詩はまちがいなく、「ほんとう」の純度が高い。

書く人が詩で何を書こうとしているのか。それはおそらくその人の「ほんとう」。
読む人が詩に何を見るのか。それはおそらくその人の「ほんとう」。

高濃度、高純度の「ほんとう」がそこにあるから、惹かれる。

技法やことばのあや織りの妙、それも詩の魅力の一つではあるが、だから好きだというのではなくて、そこにある結晶のような、高純度の人の「ほんとう」に触れる、だから感動して泣くのだと、思った。

私は「ほんとう」が宿ることばに惹かれ、そういう歌をうたい、読み書きする。

そういうことなのだ。

きっとそういうことなのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?