自分のことを言いたくない人の気持ち
私は、現実世界で、あまり出身地や出身大学がどこかを言いたくないし、家族のことについても言いたくない。
なぜなら、普段私がいる場所では、それらは、そのこと以外の意味を持ちすぎていて、そういうことで人をはかりたがる人が、ままいるからだ。
イメージ、バイアス、勝手な期待、勝手な失望、妬み嫉み、非難、差別、同情、心配、過剰反応、勝手な同胞・同朋意識、勝手な敵対心、そういうのに抗うのはもう疲れた。
それまではなんともなかったのに、何かを知った途端に手のひらを返されたり、妙に感心されたり、仲間だと思われたり、敵だと思われたり、そういうことが多くて、もう放っておいてくれ、と思う。
私の出身や家族のなんらかを知ったことで、勝手に、私をわかった気になられたくない。
私は、誰かの頭の中にいる私と同じになりたくない。
そういう意味で、就職活動はとにかく苦痛だった。自己紹介は貼りたくないレッテルを自ら貼りに行く作業だ。私が自ら貼ったレッテルに対して、相手がどのようなことを想起するのかをトレースし、相手の思考がこちらの狙い通りになるように話を組み立てる。思ってほしくないことを、思うように誘導する。そんなのは、すべてが私の意に反している。自分で自分の首を絞めるようなものだ。あぁ、気持ち悪い。
今では初対面の人や一時的な関係性の人に対しては仕方がないと少し妥協も覚えたが、そのあたりに対する潔癖症は結構残っていて、相手が自分にとって近くなればなるほど、勝手に何かを思われたくない気持ちも強くなる。
あ、そうなんだ、で、終わってくれることが確信に変わるまでは、安心安全が確認されるまでは、私は私を明かしたくない。
でも、正直、そんな日は、来る気がしない。
だから、まだ、ひた隠しにしている。
自意識過剰だと思わないでもないが、私はA.T.フィールドが分厚いんである。
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