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中身が外人

年の瀬で年越し蕎麦を食べる人も多いだろう。

ここ長野では多くの蕎麦店が多く、蕎麦好きには堪らないが色んな種類の蕎麦屋がある。

直球で言うとイマイチな店も多い。
個人的な感想に留まるのかもしれないが、その良し悪しが分かりにくいのが蕎麦の長所であり短所でもある気がする。

老舗風で、風情が有ればそれで良いのかという懐疑的印象は拭えない。

勿論美味しい店は多くある。蕎麦粉、茹で方、切り方、出汁、特色はしっかり出せて個性を感じる所がとても好きだ。
少し冒険しても個性を出せる想いの強さが感じれるのが良い。
言い方を変えると無難な所に落ち着いてしまうのが気に入らないのかもしれない。

しかし、ここで声を上げて言いたいのはそのマナー。これは上げてどころではなく大声で言いたい。
山頂で叫んだら返ってくる程で。

蕎麦や麺類をすするマナーはどこからきたんだろう。
とても下品で見ていられない。
思いっきり隣ですすられると不快でたまらないがこれが文化だから仕方ないとその途端に中身が外人になる。

和食は箸の使い方から始まり、厳かな食事のマナーがある。
なのにすする音はいいのは熱いお茶などを飲む文化からか。
それにしても麺をすするのは違うか。
音は汚いし、飛び跳ねるし。
自分に1番飛び跳ねるのに。
ドMか。

誰か全日本麺類マナー協会に提案してくれないかな。 

そんなのあるか知らんけど

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