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群Δ周円(ぐんしゅうえん)

 君が居て私が居て君の友人が居て、私達は手を繋ぎ、輪を描いて回っている、周円は私達と云う円環だ。だが、其の輪の中心を〈内部〉だと信じ込み見詰めている時、内部と云う名の外部は〈群Δ周円〉を成している。
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 其は内部構造と外部構造を同時に兼ね備えている。衣類に着心地があり、建物に居心地が在り、同時に外観が在る様に、そして、其の両者は一方が無ければ一方は失われる強度のものである。此により、外的効果と内的効果が人を強化する仕組みとなる。
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 其の円環の周長は、状況を限定して、二者択一を迫る手法で、或いは暴力的に意思表示をさせる為、或いは、此は新たな選択肢を作る為、と嘯く(うそぶ)。〈利己的利他性〉を成す器官を、逆説的に成す〈皆〉が笑い続ける為の排泄。だが、此の〈代謝=判定〉で運用される其は、一方で、常に定数の死者を、犠牲として欲している。其に挙手する偉人達を数え上げる事無く、自ら、無意味で無価値で在る、と名指しした、死と云う空洞に巻き付く事で、其が成立している事を、思い出せずに居る。
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 〈イジメ〉はセキュリティとしての〈飼育=守護〉の産物である。其は何等かの犠牲者の上で生きると云う事で、即ち〈群Δ周円〉に属する者は、一様に〈理想市民〉で在る事を証明し続けなければならない。其の判定下で、判定機能が働いている事を確かめるには、脱落者が必要となる。そして、何者かが奈落の底へ突き落されるのを見て、《ああ、自分は〈群Δ周円〉の信仰に守られている、此の〈代謝=判定〉と云う、唯の順番待ちの連続で、確実に歩み続けている》と納得出来るのだ。イジメをする自己と、イジメられる自己、双方を持つ事で、人は防衛の傘下に入る事が出来る。弱者は弱者を虐げる。其を最小にする事は出来るが、強弱の逆転を作る事が出来ない。イジメを解決出来ない大人が平気で世界平和を唱える時、其は防衛上の問題として何者かが屈服している前提を求めるだろう。其の様な限り無く低価値の偏り、其の操作の可能性。
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 社会上の仕事とは、個人の生活の為に在るのではなく、社会の〈群Δ周円〉の為に在る。職業の正当性を問われた時、君の〈思考の公務員 〉は云う筈である、《何者かの為に何かをしているのだ》と。其を自由の対価と称して。
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 生きる事を強制する銃口を向ける事とは、即ち、反面的に自殺を強要する事である、生きる事を条件で述べる事とは、間接的に、生きるべきでは無い者を浮き彫りにさせている。此の〈鏡ガエシ〉の反射、同一性と選択の脅迫を自覚して、正しさを振り下ろす〈群Δ周円〉は居ない。いわゆる、毎度の「そんな心算では無かった」である。生きる牢獄とは自殺から切り離せない、銃口は自分にも向けられ得る。自由に付いて、隈なく、考える者は自殺から自由になろうとする。
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 其は〈結び先の無い首輪〉が巻き付く先、
 滞積する量的時と云う錯覚の鍵、
 利息を持ち飼い慣らされ、
 飼い慣らす者を飼い慣らす口火、

 〈利己的利他性〉は自己犠牲の利己性、
 だが、何処からが自己で何処からが他者なのか。
 利己性の〈鏡ガエリ〉は利他性であり、
 利己性の自殺と利他性の自壊は同じ焚火の中に在る。

 言葉は虚しいか、
 宜しい、言語は虚しい影だ、
 其は非現前性を追い掛けて朽ちる灯火。

 言葉は滞積する呪いへと落ちる、
 其の終焉を巡る、
 溢れ出る命題を詠おう。


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