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動物とのセックスについて変に真面目に考える。inコロンビア

自転車で世界一周中、現在コロンビアを走行中のゆーせいです。
自分のノートは本当に一貫性というものが皆無で、ある時はキューバ旅行のハウツー記事、ある時はエッセイの読書感想文、またある時は自転車トレイラーの解説記事など、その時々に「これは文字に書き起こしておかなくては!」と思ったことを垂れ流しています。

 今回の記事はその中でもかなり異質な、最近自転車に乗りながらの考え事、「獣姦」についてです。性について、人間と動物との関係について、少し生々しく考察(というか根拠もないので妄想に近い)していますので、大事なペットがいる方や動物が苦手な方など、各自自己判断でブラウザバックしていただけると幸いです。


獣姦とは

 さて、まずは獣姦という言葉を聞いたことがお有りでしょうか?
聞き馴染みのない言葉ですが、読んで字のごとく「獣と性交渉」を行うことです。「獣姦」はあくまで行為を指す言葉です。性指向としての「動物性愛」とは意味が異なります。動物性愛者が特定の動物に性的興奮を覚えて性交渉をすることのほかに、例えば人間を気持ちよくさせるモノとして動物を利用することも獣姦に含まれます。今回の記事ではできるだけ行為としての獣姦にスポットを当てることにして「動物と性的な意味で愛し合うor愛すことの是非」については踏み入らないことにします。
 また、挿入に限らず、例えば陰部にバターを塗って動物に舐めとらせるというような、いわゆるオーラルセックス?もこれに当てはまると考えて良いと思います。ここでいう動物とは多くは哺乳類を指しますが、おそらく哺乳類以外の動物でも獣姦を行うことは不可能ではないかと思われます。例えばタコやイカ、ヘビなどがありうるでしょうか。

獣姦について考えるきっかけ

 コロンビアの北部を走行中に、地元の方と会話を通じて、コロンビア北部ではかなり広い地域(確認した限りでシンセレホの街より北部全体)にわたって、男性とロバとのセックスが今でも行われていることを知りました。
 今まで、動物とセックスをすることについて一部の外国で犯罪になっているらしいということくらいしか知識がありませんでした。遠い国の遠い昔の出来事くらいに考えていた私は、獣姦の事実と現状の一部をリアルに体感することで、改めてこの問題に興味を持って自転車を漕ぎながら考えることにしました。
 後から調べたところによるとyoutubeにこのようなドキュメンタリーを見つけました。内容としては、記者がコロンビア北部をロバとの性交について現地の幅広い年齢層に取材し、実際に獣姦してる姿をカメラに収めるドキュメンタリーです。

10年前の昔の動画なので、現在の若い世代にまでこの因習が影響を与えているのか、それとも薄まってきているのかはよくわかりません。ちなみに私が話を聞いた方は「おっちゃん」と言って差し支えないような年齢の方でした。

獣姦に対する倫理的議論点

 獣姦に対して、簡単に検索すると否定的な意見が目立ちます。私自身、感覚的に「気持ち悪い」という感情を抱きました。直感的な拒否感は議論を前に進めません。なぜそう感じるのか、せめて言語化・理由づけをする必要があります。

①動物とは生殖できないから

 シンプルに考えれば、人間と動物の性交で子孫は残せませんし、人間のマジョリティは子孫の残せる相手に性的な興奮を覚えます。性的マイノリティの方々が近年になるまで広く「気持ち悪い」と捉えられていたのは「セックスは子孫を残すための行為」と本能的に植え付けられたマジョリティの直感に反するからでしょう。しかし、近年の性的マイノリティの議論を見れば、このような性的マジョリティによる拒否感は根拠になりえないことがわかります。そもそも「セックス=子孫を残す行為」と捉えること自体難しいです。セックスは性欲の解消、パートナーとの絆の確認・コミュニケーション手段、金銭や社会的地位を得る手段、など人によって様々な目的を持ち、動物とのセックスは子孫を残せないから、というのは理由としては浅いと言わざるを得ません。

②動物には同意能力がないから

 すなわち、動物に限らず、全ての性交渉は健全なお互いの同意によって成り立つべきであり、同意能力のない動物との性交渉はこれに当てはまらないので性的な虐待にあたるという考えです。
 なるほど強制わいせつ罪、強制性交罪、児童ポルノに対する種々の犯罪など健全な同意のない性交渉については確かに法によって手厚く保護されています。最近では某タレント事務所トップによる性的虐待事件が脚光を浴び、社会的な問題にもなっています。少なくとも「人」に対する理論としては機能しえます。同じ論理が動物にも適用できるとすれば、なぜ日本では「獣姦罪」という犯罪が刑法典に載っていないのでしょうか。海外では「獣姦罪」を明確に犯罪としている国もあるようです。しかし(憶測ですが)その多くは宗教的な背景があり、明確な理由の構築は不十分なように思います。
 示唆的な法律としては「動物の愛護及び管理に関する法律」いわゆる動物愛護法が挙げられます。罰則付きの条文を参照してみます。

動物愛護法第四十四条 
1 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、五年以下の懲役又は五百万円以下の罰金に処する。
 愛護動物に対し、みだりに、その身体に外傷が生ずるおそれのある暴行を加え、又はそのおそれのある行為をさせること、みだりに、給餌若しくは給水をやめ、酷使し、その健康及び安全を保持することが困難な場所に拘束し、又は飼養密度が著しく適正を欠いた状態で愛護動物を飼養し若しくは保管することにより衰弱させること、自己の飼養し、又は保管する愛護動物であつて疾病にかかり、又は負傷したものの適切な保護を行わないこと、排せつ物の堆積した施設又は他の愛護動物の死体が放置された施設であつて自己の管理するものにおいて飼養し、又は保管することその他の虐待を行つた者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
 愛護動物を遺棄した者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。

これによれば、みだりに、殺したり、傷つけたり、給餌・給水をやめたりなどなど、愛護動物に対して行ってはいけないことを列挙されています。条文を読む限りでは少なくとも直接的に「性的な行為を強制する」ことは禁じられていません。「その他の虐待」にこれが含まれるかは裁判例を見てみないことには何とも言えません。他方で、例えば「バターの塗られた陰部を舐めたり」「動物が自らの陰茎を人間の陰部に挿入する」ことのように、動物が自発的に行っている行為であり動物の身体に対し外傷を与えていない場合に、これを「虐待」とどこまで認定できるのかは疑問です。(例えば動物に覚醒剤を注射するのは、動物が求めているとしても、動物の身体に明らかに影響を及ぼしており、これはむしろ虐待と認定しやすいと考えられます)

 また、わざわざ法律的な議論に収めようとしなくとも、同意能力がないことをもって獣姦を否定する切り札にすることには疑問が残ります。例えば、知的障害のある障がい者の性交渉について考えると、同意能力がないという理由で、これを否定するのは障がい者の方の人権を無視しています。この場合、倫理的には個別の性行為について同意があるといえるかどうかを注意深く検討することによって解決を試みることになりそうです。このような対応は動物にもそのまま当てはめることができます。踏み込んで言えば重度の知的障害者よりも知能の高い動物はいるように思います。

③動物の権利

 同意能力云々ではなくより広く「動物の権利」を守るために性的搾取や性的虐待はすべからく禁じるべきだという考えは、それはそれで一理あります。しかし、このような論調は極論のように感じます。
 突き詰めれば、動物が動物らしく自然のままで生きることを是とするのであれば人間社会は矛盾に満ち溢れていることにすぐ気が付きます。動物園では動物を狭い檻に閉じ込め生活の全てを監視され、家畜のロバやラクダには大量の荷物を運ばせ、競馬の時には鞭を叩いて馬を無理やり全力疾走させ、たくさんの実験動物に毎日望んでもいない薬品を投与しています。動物にとって苦痛と思われるようなことばかりを人間は強いています。あまつさえ、人間は自分たちが動物を食すために大量に人工的に生殖を行わせ、生まれた子たちには余分な栄養を存分に摂らせて太らせてから、全員もれなく殺しているのです。これらの奴隷的ともとれる動物の利用を受け入れながら、性欲発散のための利用は不可とするためには何か特別な論理が必要なように思います。
 もちろん、これら全てが悪であり即刻止めるべきだという主張であれば、筋が通っているかと思います。
 しかし、動物の利用全てを辞めることは現実的ではありません。人間は娯楽や生活のために動物を利用してきた歴史があります。犬や猫・豚など人間と共に生活するために長い年月をかけて品種改良された動物もいるほどです。そして、少なくとも多くの人はこれらの行為に対して現状を是認している、あるいは見て見ぬふりをしています。しかも質の悪いことに上記で列挙した例に対して、獣姦は少なくとも一時的には動物は苦痛ではなく快楽を感じている可能性すらあるのですから、余計に動物の権利という不透明な権利をもとに獣姦を否定することは難しいことのように思います。

④感染症のリスクがあるから

 動物と性交渉することで、感染症のリスクがあるから。個人的には、これが一番説得的に思います。動物との性交渉で未だ見知らぬ感染症にかかるリスクはゼロとは言えません。
 他方で、一般的に人間との性交渉であっても感染症にかかるリスクは内在しています。性交渉を不特定多数の人間とすることと同様に、獣姦による感染症の罹患も自己責任の範囲内だと言われてしまえば、、、、それまでです。そのことで社会的なリスクが通常以上に高まる具体的な根拠が出てこない限りは、これを理由に社会の側が獣姦を規制することは困難な気がします。

私の獣姦に対するスタンス

 簡単に調べた限りでは、獣姦に対する否定的な意見は全て穴があるように見えます。個人的なスタンスとしては、直感的な嫌悪感や気味悪さだけで物事を判断することは非常に危険だと思っています。永らく性的マイノリティの方が社会的に抑圧・差別されてきたことは、マジョリティの直感が大きな過ちであることを示唆しています。また、多くの日本人が見慣れない外国人を見て直感的に怖いと思うことはあるとしても、だから人種差別していいとは金輪際ならないことと同義です。
 文化的に獣姦を是とする地域に、直感的に気持ち悪いからと言って否定的な気分になることはやめようと思います。しかし、ここまできてもなかなか未知の性風俗に対する悲観的な感情は消えないものです。
 今は盛んに多様性が叫ばれる時代です。獣姦が因習として淘汰されていくのか、あるいは「多様性」の一部として認められるようになるのか、はたまた、さまざまな人間的な線引きが行われ「許される獣姦・許されない獣姦」といった複雑な構造をとるようになるのか。一市民の私には想像もつきませんが、皆さんのご意見、ご感想をお待ちしています。さまざまな価値観・考えに触れながらこのテーマに関する意見をアップデートさせていきたいです。

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