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DINKSで生きることを決めつつも、色々とうだうだしてて煮え切らない30代女の過去、現…

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DINKSで生きることを決めつつも、色々とうだうだしてて煮え切らない30代女の過去、現在、そして未来を綴るもの。

最近の記事

遺伝子は切れない

「父親」の葬式は嬉しくて楽しくて仕方なかった。 私の新しい人生がやっと始まる。 とにかくワクワクした。 きっとこの先子供を産むかもしれない。 でもその子をアイツに会わせなくていい。 抱かせなくていい。 でもなぁ、なんとなくすぐに子供を作ったら なんだかアイツの生まれ変わりみたいで気持ち悪いな。 愛せるかわからないな。。 最低でも1年は待つか。 当時はそんな気持ちでいて、自分はいずれ子供を産むつもりでいたのだ。 ただ、「父親」の死がきっかけで、これまで知らなかった

    • 死んでくれてありがとう

      タイトルにもあるように、「父親」は私の結婚式1ヶ月前に死んだ。 肺がんだった。 死ぬ1年半ほど前だったか、母から「父親」ががんになったと告げられた。 母はとても深刻そうな顔をしていたが、私は正直ちょっと嬉しかったしワクワクした。 当初余命2ヶ月と言われていたが、意外としぶとく笑、 なんやかんや1年半ほどは持ったようだ。 結婚式の前に死んだ。 私の人生はこれからやっと始まる、と希望に満ちた感覚になったのを覚えている。 今後人から父のことについて何かを聞かれても、 も

      • 父親に孫を見せたくない

        私が結婚したのは27歳の時だった。 私は昔から自分の生まれ育った家庭環境にコンプレックスを抱えていたけれど、 普通に結婚願望はあったし、当然子供も産むだろうと考えていた。 それなりに恋愛もしてきた。 今の夫は、まだ交際をしていた時に自分の家庭のことを打ち明け、 理解を示してくれたことから、結婚のことも現実的に考えられるようになった。 ただ、いざ結婚するとなると私の中で大きな悩みが2つできた。 ①結婚式に「父親」を呼びたくない(バージンロードを一緒に歩くなんてもっての

        • 複雑な家庭環境②

          さて、そんなわけで不倫で生まれた婚外子の私なんだが、 どうやら遺伝子ガチャも大失敗だったようだ。 母親と「父親」は最後まで籍を入れず事実婚を続けていたが、 色々ややこしいのでとりあえずここでは妻、夫、夫婦といった表現で表す。 「父親」にとって母は3番目の妻だった。 1番最初の妻との間には2人の子供(男女)がおり、 2番目の妻とは1人の子供(男)がいる。 つまり、私は腹違いの兄弟が3人いたのだ。 (この事実をちゃんと知ったのもかなり後になってからだ) 「父親」にはすで

        遺伝子は切れない

          複雑な家庭環境①

          さて、私がDINKSという生き方を選ぶに至った経緯について、 どこからどこまでを、どの程度まで書けばいいだろうか・・。 タイトルを作成してから悩む。 おそらくかなり長くなりそうであるので、複数記事に分けて書いていこうと思う。 端的に言えば、私が選択子なしを選ぶことになった最大の要因は自分の家庭環境、そして遺伝子だ。 もったいぶらず先に言ってしまうと、私はいわゆる婚外子である。 当時既婚者だった私の父親と、母親の不倫で「できてしまった子」である。 この事実が自分を酷く苦

          複雑な家庭環境①

          自己紹介とブログを始めようと思ったきっかけ

          どうもはじめまして、Yusariと申します。 ブログなんて書くの、高校生の時以来で少し緊張してます。 (あれは平成真っ只中。mixiで恥ずかしい日記をかいたり、当時付き合ってた彼氏と黒歴史サイトを運営していたような時代です…。) 私は現在ミドサーで派遣社員として営業事務の仕事をフルタイムでしています。 同年代の夫がおり、結婚して今年で6年です。 このブログのテーマでもありますが、意図的に子供を持たない、いわゆるDINKS夫婦として暮らしています。 なぜ私がDINKSという

          自己紹介とブログを始めようと思ったきっかけ