複雑な家庭環境①


さて、私がDINKSという生き方を選ぶに至った経緯について、
どこからどこまでを、どの程度まで書けばいいだろうか・・。

タイトルを作成してから悩む。

おそらくかなり長くなりそうであるので、複数記事に分けて書いていこうと思う。


端的に言えば、私が選択子なしを選ぶことになった最大の要因は自分の家庭環境、そして遺伝子だ。


もったいぶらず先に言ってしまうと、私はいわゆる婚外子である。
当時既婚者だった私の父親と、母親の不倫で「できてしまった子」である。
この事実が自分を酷く苦しめ、私の人格形成には大きく影響を与えたと思う。
本当は心から向き合いたくない事実であるが、今回は敢えて淡々と述べていくだけとする。


物心ついた幼い頃から、父と会うのは年に数回。
そんなことにそれほど疑問を持たない年齢だった。
私は母親の実家で育てられ、まあとりあえずは普通の田舎の子供として大きくなった。

父親の苗字が違うことも気づいていた。
詳しく触れてはいけないことだということも幼いながらに察していた。


年に数回会うだけの「父親」。
私に対する愛情はものすごく深かったと思うが、
たまにしか会わないその男の存在と会うのは苦痛でしかなく、当然ながら懐きもしなかった。

大学進学で東京へ。
相変わらずごくたまに母と「父」が東京へ来て、変な空気で食事をする、ということが続いた。
相変わらずその男が自分の父親であるという実感や愛情は一切生まれない。

私は20歳になろうとしているところなのに、「父親」と母親の関係についての説明は私に一切なく、さも当たり前のように3人で会って、家族ごっこのようなことをする。

自分の中でこの違和感に耐えきれなくなり、
ある日、私は遂に母親に核心をつく質問をしてみたのである。


「ねぇ、何でアイツと私たちは苗字が違うの?」

それを聞いて固まる母親。まさに青天の霹靂といった様子だった。

母曰く、いつかは言わないといけないと思っていたがタイミングが分からなかった。
申し訳ないと思っていたそうだ。

そして私が不倫関係の末に出来た子供であるという現実をそこではっきり突きつけられたのである。

ちなみに前妻とは私が高校生くらいの時に離婚をしており、
戸籍上も私のことをそのくらいの時期に認知している。

これだけでもまあまあハードモードであるが、
「親ガチャ大ハズレ」エピソードはまだまだ続く・・・。



②に続く



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