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【文武両道時間差論】時間は確かに無い



家での自主トレがなかなか継続できないことや、学校の宿題になかなか手をつけないことは保護者からの相談を受けることトップ3くらいに入ってる気がする。

普段練習にも行ってるし学校にもいってるし
自主練とか宿題なんてプラスアルファみたいなものだと個人的には思う。
だけど、今よりも自分を高めたいと思う場合にはやった方が良いものだとも思う。

自分も含めてだが、大人はそれを経験的に知っているから、子どもがやらない姿を見ると歯痒くなってくる。
これもすごくわかる。

じゃあ、子どもの時に自分もできていたかと言われたら、、、。
できていなかった人も多いはず。


時間は確かに無い

時間が無いは言い訳だと思う。
でも、僕もいろんなことに毎日言い訳して生きている、安心して欲しい。
わざわざその姿を表に発信していないだけで、人間の初期設定はそんなもんだと思う。

何もかもきっちりやっていた時期もあった。
でも、やっぱりもたないんだよね。
人それぞれキャパはあるけど、もって数年です。


今の子達は一昔前よりもスポーツに塾に、習い事も多いし
さらにそれぞれの習い事からも宿題を出される。
学校の宿題もある。


時間が無いは言い訳だけど

確かに事実として時間が無い。

成長のために睡眠時間も確保しなくちゃいけないし。


選ぶこと

そんな状況で「やる時間が無い」と言われれば確かに反論はしにくい。
大人のこっちがそんなに忙しい社会にしてしまってるから。


僕から言いたいのは、選択をすることだと思う。


「時間が無い」


の裏には「他のやること、やりたいことが終わって時間が残ってたらやる」という
意味が含まれてると思う。


だってもし、朝起きてから行動が自由で、何も義務がなければ好きなことから手を出すはず。


優先度の高いもの(それが義務であれ自主であれ)から取り組んでいる。
自主トレの時間が無いのではなく、まだ自主トレの優先度が低い。
もしくは他に強制されるものに追われているのではないかと思う。


マルチな人を目指す必要はない

今、世間的にはマルチプレイヤーが賞賛される。
あれもこれもできる人。
だからあれもこれもさせられるし、あれもこれもちゃんとやれと言われる。
結果的に今1番何をしたいかわからなかったり、したいことあってもエネルギーも時間も残ってなかったりする。

全員がマルチで多彩なすごい人を目指す必要はないし、大半の人はもっと的を絞って1点突破した方がいい気がする。

全部しっかりできる人なんてすごくすくないから。
結局はどれも中途半端になる末路だと僕は思う。

確かに勉強をテキトーにしてスポーツばっかりしていたら、将来のキャリアが不安かもしれない。
でも、スポーツって大半が大学生で終わるし期限が明確。
どんなに頭を下げてもお金を積んでも高校のインターハイ出場チャンスは人生で3回まで。小中学生も同じようなもんだ。

仮に大学までスポーツに打ち込んでも、まだ22歳。
しかも勉強は年齢制限が無いものがほとんどだから、今までスポーツに打ち込んできた粘り強さがあれば、後からいくらでも巻き返せる。
大学受験なんて納得するまで何回受けてもいい。

流石に医学部行きたいとか、ハードルが高くなればなるほどに相当な覚悟と年月がかかるけど。
不可能なことでは無い。スポーツと違って無期限やもん。
やりたきゃ何十年でも勉強したらいい。

文武両道時間差論

僕が提唱したいのはこれ。
凡人が勝つためにはこの考え方が必要と思う。

一見偏差値も高くてスポーツも強い高校も、ほとんどが分業だったりする。
偏差値を押し上げる進学クラスの子達、
甲子園やインターハイで活躍するスポーツクラス。

分業です。
どちらも専念しないと勝てるわけない。

よくスポーツ選手が「中学高校時代の成績はオール5でした」とか言ってるけど
中学なんてたかだか義務教育レベルで教科書の内容最低限だし、
高校にもよるけどスポーツクラスの授業内容と、進学クラスの授業内容は全然違う。


そこの狭くい範囲で独自の評価のオール5って学力の基準にはならない。
仮にオール5でも、模試受けて勝負したら勝てないと思う。


しかも残酷なことに、社会に出てから必要な「頭の良さ」は教科書の内容じゃカバーしきれない。
唯一役立つとして、ひたすら暗記するから海馬がちょっと発達するくらい。
大事やけどね。


そりゃたまには超人みたいな子はいるけど、
特例のマイノリティは目立つが、それを目指すよりも分業して成果を上げているマジョリティのやり方を習う方がどう考えても打率が高い。


スポーツ選手+経営者みたいな人もいるけど
同時進行で超一流にはならない。
だいたい、スポーツ引退した後に起業して成功してる。


僕が言いたい【文武両道時間差論】は、自分の中で「文」に努力値を全振りする期間と、「武」に全振りする期間を分けて、後からトータルで見た時に「文武両道」にすることだ。

なぜ同時進行を美学にするか全然わからない

なぜ同時進行で両方うまくいくことを美学にしてしまうかが全然わからない。

ちょっとはわかるけど(笑)
だって常に比較の中で生かされているわけだし、周りより優れていたいと思わされがち。
劣っていると、バカにしてくるやつもいるし、自分も自信を無くしがち。

でもこれが本当に落とし穴。
そんなことで人の価値は決まらないし、時代背景や社会基準で簡単に変わるような幻想のもの。
今に踊らされすぎ。これは集中じゃない。

それに踊らされてマルチプレイヤーを目指すと、ドツボにはまる。

だからこそ、一点突破すればいい。
勉強できないけど(まだ力入れてない)、水泳なら、野球なら自分はできる。
納得いく結果が出せる。
そう思うまでやればいい。

自主練を続けて欲しいなら

話を最初に戻します。

この文武両道時間差論でいくなら、
自主練を続けてほしかったら他を削ることです。


時間は無いし、時間は平等。
だからこそまとめて使う。


現代っ子、そもそもやる時間と余裕が無いんです。
一点突破するためにもキャパを空ける必要がある。


特にスポーツの方が人生で期限が来るタイミングが早い。
チャンスの回数も限られてる。
たかだか学校のテストの点数と、どっちが後悔するでしょうか?

僕はそう思います。

一点突破の中で見えてくる深みの方が成長する

あれもこれもやろうとすることで、すごい人になれそうに思えるかもしれないけど僕はそうは思えない。

一つ一つのことを集中して、毎回目標まで一点突破しようとするからこそ、深みに到達できて成長の糧になると思う。
その過程で形成された人間的成長があれば、努力の振り方が変わるだけで他のことをあとからスタートしても上手くやれる。

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