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ドラムとバンドの頃。

ドラムは中学2年の時から始めました。

音楽の先生。カタカナ書きで「ケイコ先生」の勧誘で、
最初はバスリコーダーという、学校で習うリコーダーのバケモノみたいな
笛を吹いて欲しいとの事でした。

もともと柔道部に在籍していたのですが、吹奏楽部なんて人気が全く無い。
男子に限っては「それはオカマのする事だ」なんていう、今じゃ倫理に
引っ掛かるような考えをみんなが持っていました( ´_ゝ`)

吹奏楽コンクールは秋。ちょうど総体が終わった後。
新人戦も昇段試験も無くて、体育会系の仲間が助っ人みたいな感じで
駆り出されていました。

そのバケモノリコーダーがあった「音楽準備室」に、
誰も叩く事のないドラムがあったんですね。

試しに叩く。というか、ドラムなんか叩いたコト無いので、
イタズラにバシャーンバシャーンとシンバルを叩き続ける。
周りの音なんか全く聴こえていなかったので、馬鹿みたいに
叩き続けていたら、隣の美術部の顧問がたまりかねて来て、
思いっきり殴られました( ´_ゝ`)

けど、なんか・・・「発散」というのでしょうか。

もし、自分がこのドラムを「操れる=演奏できる」事があれば、
どんなに気持ちの良い事だろうと。

その時、ケイコ先生が、
「〇〇くん。コンクールはバスリコーダーしか演奏できないけれど、
時間があったら、基本的な事は教えてあげれるよ」と。

それから、2年間。
誰に披露することも、仲間で演奏することもなく、
特に3年の夏以降から、本格的にドラムを始めました。

そして高校一年。
初めてバンドを組み、ライブに出て、掛け持ちをして。
学校に全く行かず、練習=スタジオと街で遊ぶ日々。

最後の高校3年に、自分のバンドはちょこっとだけ有名に
なります。これは「yuka」のほうで書きたいと思います。

高校を卒業して、1年は島にいたのでバンド活動はしません
でしたが、帰ってきてから洋楽の7ピースバンドに。
ブラス・ロックというジャンル。
そこで洋楽に出会い、色んなジャンルの洋楽をコピーして、
演奏。

それから(ここではバンド名を書きますが)
~ハルカ・カナタ~というバンドで、自分はボンゴを叩き、
後の2人がギターを弾き、夜の街や公園で歌を歌うという
音楽を続けていました。

さて。自分とドラムを繋げてくれた「ケイコ先生」ですが、
赤裸々に書くと、10歳離れたこの先生=女性に、公私に
渡って、大変お世話になります。

自分は16。先生は26。
この話は今後書くことが無いと思うので書きますが、
色んな事を教えてくれた人です。

yukaの時は、親身になって、恋事の分からない自分に、
その時に付き合っていた彼氏さんに話してくれて、
相談にも何回かのっていただいた。

高校の時分に遊び慣れていたと思っていたのに、
学校の先生ながら、彼氏さんの影響で、それはそれは、
裏の世界まで教えてくれたんですね。

その先生が今。地元で喫茶店を経営している。
ひさしぶりに先生と会い、朝近くまで2人で話をしましたが、
先生は人生の仕上げに入っているようでした。

ドラムはyukaは全く興味がなかった。
音楽は好きでも、バンドというyukaからすれば薄汚れた関係性が
生理的に合わなかった。

最後のバンド編成の時に、自分はその時のボーカルに告白されます。
そして1年間。
島生活の時に、付き合う事になりますが、yukaの再登場で、彼女とは
別れることになります。

ドラムなんですが、もう数年以上演奏していません。

アパート暮らしの自分では、騒音問題で叩くことが出来ない。
けど、あの音楽準備室にこじんまりと静寂を保ったまま鎮座するドラムを
思い出す度に、自分の思い出が無数に甦ってくる。

また、叩くことがあるかもしれないし。ないかもしれない。
けど、あの時間。あの思い出は、決して無駄ではなかったと、
心温かい心持ちで言えます。

ゆうさん

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