見出し画像

SFサスペンスに乗せて「シュルレアリスム」に浸る──幻詩狩り 川又千秋

今日も一日、おつかれさまでした。

少しづつ書き溜めている本の感想note。
今日はSF作品の感想です。

思ってたSFとはちょっと違う

SFと言っても、まずタイトルから
「幻詩狩り」で、文学系の香りが漂いますし、
読んで見るまで、何なら読み終わるまでSF作品とは思いませんでした。

表紙の抽象的なデザインと、
わかるようでわからない、どこか不穏な感じのタイトルに惹かれ、
読んでみようと思いました。

SFと言うと、何らかの「進歩したテクノロジー」があり、
それが物語をいい方向にも悪い方向にも運んでいく、
そんなイメージがあります。
ところがそんなイメージから遠いのが、
この本の面白いところです。

人を駄目にする詩

この本のテーマは、
「麻薬的な力を持つ”詩”の蔓延がもたらす人類の危機」です。
詩は、言葉の使い方で世界の認識や時間の感覚を変化させる大きな可能性を持った分野なので、
「麻薬的な」と言われてもそれほど違和感はありません。
ところが本書で言うところの「麻薬的」は、
もっと物理的に「麻薬的」であるところがSF的で面白い。

まず依存性があります。
ひとたび読んでしまうとまた読みたくて仕方なくなる。
次に向精神作用があります。
依存が深まると、読み手の内向性に反応して幻覚を見せます。
その幻覚によって精神が崩れてしまい、
そのまま死に至ったり、そうでなくとも耐えきれず自死に至る。
なんとも恐ろしい詩です。

詩を取り締まる日本人たち

冒頭は、そんな詩を撲滅すべく働く、
現代日本の取締官の視点から始まります。
詩は文字情報なので、手書きでも複製できますし、
音楽に乗せてより効率的に広げる人々も出てきたりして、
蔓延しやすく、取り締まりは困難を極めます。
その危険性から現場に与えられている権限の範囲は広く、
簡単に被疑者の命を奪ったり拷問したりと、
かなり物々しい世界観になっています。

詩が生まれた場所─シュルレアリストのアメリカ生活

こんな詩を作ったのはどんな人だろう。
こんな詩って、どんな作品なんだろう。
という、当然の興味は、また舞台を移して、
1940年頃、アメリカに滞在している実在のシュルレアリスト、
アンドレ・ブルトンに視点が移ります。
「シュルレアリスム宣言」を出した、
シュルレアリスムの親玉。アメリカでも、知識人や芸術家と交流を持って、
勢力的に活動をしているのがわかります。
(デュシャンと仲良くして、お酒を飲んで作品を批評しながら、
ダリの悪口を言ってたりして、そのあたりは想像とはいえ、
臨場感があって読んでいて楽しい。)

アンドレ・ブルトン
マルセル・デュシャン

そんな彼の前に突然現れる無名の少年詩人「フー・メイ」こそが、
これから人類を滅亡の危機へと陥れる幻詩「時の黄金」の作者です。

彼は、無垢な詩人です。
悪意とは程遠いところにある人物と言っても良い清らかさ。
そんな彼が、突き動かされるようにして生み出した詩に、
作者も想像だにしなかった力が宿ってしまう、というわけです。

この詩が生まれてしまったという宿命と戦う人類の姿は、
ぜひ読んで確かめてみてください。
時代も場所も、スケールも、ダイナミックに移しながら、
スリルに溢れるストーリーに引き込まれると思います。

シュルレアリストと友達になれる

この本を読んでみて、良かったなと思うのは、
シュルレアリスムの纏う「雰囲気」を知れたことです。
ややこしいことを考えながらフー・メイをカフェで待つブルトン。
圧倒的なカリスマと自信に支えられた、芸術家像を貫くデュシャン。
超現実を追い求める中にあった、シュルレアリストたちの日常。
そこに彼らの価値を揺るがすほどの作品が突如投げ込まれることで、
彼らの覚える圧倒的な動揺と、急に漏れてくる人間臭さ。

崇高な芸術家たち、と一歩引いてみていたのが、
気がつくと親しみ深い存在のように思えてきます。
すると、もっと彼らの残した作品を知ってみたい、
考えたことをなぞってみたいと次の興味が湧いてくる。

これも何かの縁だと思って、
少しずつシュルレアリスムを勉強してみます。
詳しくなったら、もう一度この「幻詩狩り」を読んでみたい。
またちょっと、違う楽しみ方が出来るような気がしています。


そのほかの本の感想noteはこちらのマガジンからどうぞ。

本の基本情報

幻詩狩り
著 川又千秋
出版:創元SF文庫

書籍はお気に入りの書店で取り寄せるのが最良の選択だとは思いますが、
今すぐ欲しい方、忙しくて書店に行く時間の無い方、
電子書籍派の方はamazonの力を借りましょう。リンクは広告です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?