見出し画像

「和菓子は、日本の宝だ」和菓子が嫌いだった僕が、2年間食べ歩いてみて、衝撃を受け後世に残したい16の名店。

2年ぐらい前から、和菓子屋めぐりにハマっていて、食べに食べた。今までちゃんとまとめてなかったな、と思いつくままにnoteに書いてみたいと思う。

老舗の和菓子屋さんは奥が深すぎて、名字が奥でよかったと思った。

歴史も長く、味わいも変わらない和菓子は、いつしか日本の宝なんじゃないかと思うようになった。

僕は甘いものをそこまで好んで食べない。

だけど東京の向島にある長命寺さくら餅を食べたとき、その味に衝撃を受けた。

桜なんだけど、頭に雷が降ってきたのだった。


そこから不思議と、各地で和菓子を食べ歩くようになった。知識0から和菓子を食べ歩き始めたので、東京は長命寺、関西は道明寺と言って、形も、作り方も異なることを知るところからはじまった。

陰ながらひっそりと100軒ぐらい食べ歩いてきたように思う。結果として、東京以外に、大都市である京都、名古屋、大阪を中心に老舗と呼ばれる和菓子屋さんは多く存在することがわかった。これらの地域には、織田、豊臣、徳川が、根付かせた商品もあった。

いや、話を聞いていると人口の減少と共に減った地域も数多く存在する。

「和菓子」を調べてみると、面白いことがいくつ出てくる。1つは、世界の100年以上続く企業が日本に80%も続いているということだ。その中に、そこまで日持ちがしない和菓子屋さんの存在がいくつも食い込んでいる事実がある。

まず、紹介したいのが京都の北大路にある一文字屋和輔。

なんと平安時代の1000年(長保2年)創業したとされる。最古のお店とも名高い名店だ。

「ちょ、え、団子一筋で1021年て。」
マンションの号室じゃないんだからと思った。

1000年以上の歴史があって、世界で最も一番古い和菓子屋さん。

藤原道長も「おいしいのぉ」なんて言って、団子を頬張っていたかと思うと、ロマンしかない。

南北朝時代の貞和5(1349)年、今から約660年ほど前の創業の塩瀬総本家は、後土御門天皇より桐の御紋を拝領し、足利義政から「日本第一番饅頭所」の看板を贈られ、織田信長や明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康といった名だたる武将にも愛されたという、天下統一になくてはならなかった饅頭だ。


野球のスタメンみたいな感覚で、戦国時代の大御所が並びまくるところがまじで半端ない。

室町時代中期の応永28(1421)年創業と伝わる京都の亀屋陸奥、は蒸しパンの上に味噌を塗った素朴で不思議な御菓子を製造していたのだとか。味噌パンみたいな、不思議な味のした和菓子だった。

https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260101/26002071/

写真は、北野天満宮の正門前にある粟餅所・澤屋さんの栗餅。つきたてのお持ちをほどよい甘さの餡子ときなこでコーティングした一品。こちらは江戸時代・天和2年創業。330年近くやっている老舗。お持ち帰りもできるが、店内で出来立てを食べてもらいたい。

日本橋にある、長門を訪れた際は、一年待ちという和菓子「松風」を見つけ、注文した。作れる人が日本に1人しかいないのに加え、湿度や天気によって作れる日が限られるからだとか。

ここのおすすめは、普段買える「わらび餅」口の中で溶けてしまうほど柔らかいのが特徴。

「松風」は先日、電話がきたので、食べてみたい人はコメントください。


完全予約制の京都「嘯月」は、紙袋を持っているだけで「嘯月さんの和菓子ですか、いいですね」。と言われた。ほろほろと崩れてしまいそうな職人の技が詰まった芸術的な一品だった。


創業1000年を越えていたり、千利休が好んで選んでいたという和菓子、戦国武将が好み命名したなんていう名品もあって、茶道の文化が発展した日本であるからこそ生き残ってきかた食文化なのかもしれない。

京都にある宝泉のわらび餅も、わらび餅の概念を遥かに越えてきた逸品。



また和菓子屋さんに話を聞くと、昔はとにかく甘いものは高級品で、贅沢なものだったらしい。当たり前にあることが、昔は真逆だったということが多く存在する。

現代の糖質制限なんて、昔の人からしたら考えられない行為なのだろう。

宮城県の松島にある、松島こうれん。薄い煎餅のような品だが、何枚でも食べれてしまいそうに味わい深い。萩の月に押されがちだが、松島に行くことがあれば、「松島こうれん」もお土産リストの1つとして頭にいれてもらいたいところ。創業は約600年。え。

そもそも三桁の年数が続くということ自体、すごい。あたりまえだけど日本にある洋菓子の歴史とは、桁外れに違う。

種類にはよるが和菓子は、とにかく失恋したての女子高生の様に繊細だ。

食べ歩いてみると、砂糖のほのかな甘さや、あえて発酵させた酸味、わざとざらざらとさせた舌触りなどに気づく。餅を使っている場合はつき具合や、弾力の差なども違う。

こちらのお店は創業天文元年とある、大阪の堺にある「本家小嶋」。ここの逸品は「芥子餅」。丁寧な手仕事を感じるお菓子である。

芥子の実がぷちぷちとして思い出しただけでも、よだれが出てくる。


「本家小嶋」の近くにある、八百源来弘堂 さんは、中に欧州から仕入れたというニッキが練りこんである、にっき餅が有名。南蛮貿易のときにニッキが手に入ったから、お餅に練りこんでみた結果400年近くも看板商品として愛される結果となったのが素敵だ。

更に、堺にはもう1つ紹介したい名店があって。
「かん袋さん」のくるみ餅。お店で食べる場合は、氷入りとそうでないシンプルなものとが選べる。これは、日本で生まれたからには1度食べるべきだと思った。かき氷は、インスタ映えしなくていいと思った。

京都も、東京も、和菓子のお店は多い。だが、エリア的にいうと総合評価で、大阪の「堺」が個人的には、衝撃度の高い老舗の和菓子屋さんが多かった。

特に、100年を越えている和菓子屋さんは、何故、その和菓子が愛され続けられているのかがわかる。ただ、京都では100年レベルの和菓子屋さんはベンチャー和菓子屋なのだとか。

生菓子の場合、保存料も使わないため1日しか保存できないのだが、たくさんの人が買いに訪れ、売り切れる。

京都の出町柳にある豆大福の名店「ふたば」は常に列が途絶えることがなかった。そして、リピーターも多い。「ふたば」があるだけで、京都に住んでいることがうらやましいと言える。

東京にある竹むらの粟ぜんざいは、人生で食べた「ぜんざい」の中で殿堂入りするのではないかという美味しさ。このあと食事がなければ、5杯はおかわりできたはず。

洋菓子店やパン屋さんも増えて、さらにコンビニエンスストアという強敵も増えてしまったが、これからも地元に根差す和菓子屋さんは応援していきたいと思う。

もしこの文章を読んで興味が出たら、洋菓子屋さんだけでなく和菓子屋さんにもお菓子を買いに行っていただきたい。

“奥”深さにやられるはずだ。

熊本のいきなり団子は、豪快な和菓子だった。

地方にもたくさんの郷土菓子があるので、郷土和菓子トリップなんていうのも楽しいだろうな。

この記事が参加している募集

至福のスイーツ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?