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メキシコで、タコスより印象に残った食べ物。

シカゴを早朝の便で西海岸は、サンディエゴ入った。窓から見える移り変わる景色に、アメリカの広大さを感じる。油田が見えたり、雪山が現れたり、広すぎる畑が広がっていたりした、この国はデカい。よくこんな大国と戦争していたものだ。

ロッキー山脈?!?!

サンディエゴは車がないとコンパクトな街並みなので、そこまで見所にアクセスはできない。

陸路で来た場合の、玄関口。
ひょっこり、オラ。

翌日は、12年前に一緒に旅したメキシコ人の友人が住むティファナへ向かった。

48時間以内にアメリカへ戻るのであれば、パスポートにスタンプすらいらないとのこと。路面電車で乗り換えなし、約1時間ぐらいで国境に到着する。

これがメキシコの玄関口

彼がいなかったら、たぶん来なかった国境の街。奥さんとも仲良しなのだけど、熱があって会えなくて残念だった。また近いうちに、会えるのだろう。

現地の友人に会うというのも、旅の醍醐味。

久しぶりに会えた。ほとんど何も変わらず。

ローカルが食べるご飯屋さんがよそ者は嬉しい。

汚れていたとしても、こんなお店は現地の人がいなかったら来なかったよ、という店に入れたときの感動が大きい。

絶品だった、サンディエゴのタコス。

そして、メキシコのタコスが日本のモノより圧倒的に美味い。口の中が酸味、辛味、甘味などで、口の中が大渋滞。最後の最後で、お前はタコスだったのか、で着地する。

友人が連れて行ってくれたレストランの海老入りタコス


だけど、この街で最も印象に残ったのは、なんと言ってもシーザーサラダだった。笑

居酒屋のド定番であるシーザーサラダが、実はメキシコのティファナ発祥だということを僕は知らなかった。

目の前でいろんな食材を混ぜて、ドレッシングを作る。この誕生秘話がなんとも面白くて、思いがけず生きるヒントをもらった。

シーザーサラダを作ってくれたサンチェスさん。




1924年7月14日の暑い夜、メキシコ・ティファナのホテル「シーザーズ・パレス」のことでした。ハリウッドからの客が、大挙してシーザーズ・パレスに押し寄せてきました。

時は禁酒法真っ盛り、パーティーのためにハリウッドから国境を越えて人がやってくることは珍しいことではありませんでした。

ただ、その日のシーザーズパレスは、大問題に直面しました。レストランのほとんどの材料が底をついてしまい、この大勢の、突然の客をもてなすには全く足りなかったのです。

このレストラン・ホテルのオーナーである、シーザー・カーディーニは、悩んだ末に、カートにレタス、ガーリックオイル、レモン、卵、パルメザンチーズ、ウスターソース、クルトンとコショウを載せて、客のいるダイニングの中央に進みました。

そして、鮮やかな手つきで材料を混ぜ合わせ、一つのサラダを作り上げたのです。

そしてこのサラダは、一夜にして伝説となり、西海岸に、全米に、そしてヨーロッパにまで広がっていきました。

1938年、シーザー・カーディーニはホテルを売り払ってロサンゼルスに移り住み、グルメストアをオープンしたそうです。そこは、古いワインボトルに入れられた彼のドレッシングを求める客で繁盛しました。

10年後、彼と娘のローザは、会社を作り、瓶詰め、ラベル付きのオリジナル・シーザー・ドレッシングの販売をはじめました。このドレッシングは、いまでもアメリカ中のスーパーで手に入れることができます。

シーザー・カーディーニは1956年に亡くなりました。もちろん、彼のサラダは、いまでも全米で愛されています。

これが本当のシーザーサラダ。




参考文献:シーザーサラダ友の会


なんかおもろい。目の前でベストを尽くした結果、世界中で食されるサラダになったなんて、ロマンしかない。きっと日々、準備していたのだろうけど。

そして、シーザーサラダ友の会という団体があることにもこんなことがないと絶対に知り得なかった。笑

ローカル飯が、なんだかんだ1番美味しい。

旅は偶然の出会いと未知との遭遇の連続である。人生とは旅であるとは、よく言ったものである。

これから国境を越え、ティファナからサンディエゴ経由でロサンゼルスへ。

どんな出会いや出来事がるのか、日頃の生活からもこれだけワクワクしていていたい。

ローカルな酒屋さん、ミチェラーダをご馳走してもらう。
横の女性に、これであんたはテキーラをショットで飲みなさいって強要されまくった。

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