見出し画像

忘れるとは必要なプロセスである

人間には忘れるという機能が備わっている。これはシャクターが言ったことではない。僕が言ったことだ。

記憶というのは完全じゃない。何故なら記憶を完璧にするというのはその情報量を扱わなければならないということだ。つまり長期記憶に保存されるためには情報をカットしなければならない。でなければ感覚記憶→短期記憶→長期記憶なんてプロセスを踏む必要はない。

また記憶には虚偽記憶も存在する。これはロフタスの実験だ。

とどのつまり、忘れてしまうということは何も悪いことではない。忘れるということは人間として正しい行動だし、むしろ歓迎すべきことだ。すべてを覚えているような人は些細な悲しみに一生苛まれることにもなるんだ。

しかし、一方ですべてを忘れるということはダメなことだ。

例えば、「これやっといて」と言われて、あとで「忘れてました」というのは通用しない。

何故なら短期記憶から長期記憶に収納するために必要なことはリハーサルと呼ばれる行為で、すなわち反復だ。反芻だ。そして分身だ。

リハーサルをすることによってその記憶を分身させ続ける。世の中数うちゃあたる。

今日、なぜこの話をしたのか...

いつもなら一日、今日は何か書こうかなーと思う瞬間がある、またぼぉーっとしていない限り、この日記について考えている。

しかし今日は違った。今の今まで日記の事すら完全に忘れていた。

ちょっとだけとか言うそうゆうもんじゃない。「あれ今日練習。。。は!」
って感じだ。というかむしろ思い出した瞬間は、「あれそんなのやってたっけ」って思ったくらい

しかしいいんだ。忘れるということは人間にとって必要なこと。

はぁ、なんてすばらしい言葉なんだ!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?