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生活とビルケナウ

なんとなく今日は休みだったので、豊田市美術館でやってるリヒター展に行ってきた。それを友達に言ったら友達も来るらしくて、一緒に行ってきました。とはいっても特に感想があるわけでもないし、月並みにすげーって思ったってくらいで、特にビルケナウはデカくてよかった。でかい絵ってそれだけで特別感半端ない。

ビルケナウと言えば、ホロコースト。あんな悲しい出来事は皆思い出したくない(僕は生まれていないけれど)、だけど忘れてはいけないできごと。そしてホロコーストはある種人間の弱さが露呈したような事件だ。

例えばアイヒマン、例えばアウシュヴィッツ、例えばナチズム、例えば戦後ドイツ。僕は昔「普通のドイツ人とホロコースト」というミネルヴァ書房から出ているぶっとい本を読んだ時に、イデオロギーと人々の中に流れるナショナリズム、社会的偏見って怖いなと思った。何でもないような人にも種子はあるし、その種子を自身で発芽させる。だから僕はしっかりと心に水をやると共に観察をしないといけない。そのための日記なのかもしれない。全体主義の呪縛を1時的にも逃れられたウィンストンのように…

だからこそ、僕は生活を記録する。毎日それが出来ないのは反省点だけど、やるときはやる。自分を客観視する。平和の中にある闘争から目を背けないために。そして僕自身が無自覚に侵略者にならないために。

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