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我々はどこから来たのか どこへ行くのか

今日もこの時間になってしまった。生活習慣の乱れとはまさに

今日もなんか仰々しいタイトルだが、なんてことはない。ゴーギャンの作品のタイトルのもじりだ。なんてことはない

僕はよく考える、僕はどこに向かって生きているんだろう。老い先短いわけではないけど、いつかは死ぬもんだし、何かを成し遂げられるほど勇敢でも、才能があるわけでもない。

今日もそんなことを考えていた。

バイトが終わって、駅に向かう。今日は駅の構内のコンビニで一休みすることにしてたから、コンビニでコーヒー牛乳を買う。あのパックの奴だ。
それをイートインスペースでちびちび飲もうと思った。勿論、消費税は10パーセントだ。(確認してないけど)

しかし、イートインスペースの椅子は無惨にも転げ落ちている。いや「芸人が滑った時みたいになっている」といった方がいいかもしれない。つまるところ座れなかった。

仕方なくコンビニから出て、駅構内の隅っこの方でヤンキー座りでちびちび飲む、口からストローを離さなかったが。耳にはイヤフォンを付けている。流れているのはKing Gnuの「The hole」

もちろん、僕のことを揶揄しているわけではない。でもその時だけは僕の周りに人は来ようとはしなかった。

多くの人の流れ、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」 そんな心持ちの人々。そして僕はこの瞬間もどこへ向かっているのだろう。Spotifyのアーティストページからランダムに流している曲はどんどん移ろっていく。今かかっているのは「vinyl」だ。King Gnuの引き出しにはいつも驚かされる。

少しづつ、人生の時間を削りながら、その等価としてのコーヒー牛乳を体内に流し込む。人は時間と引き換えに何かを得ている。等価交換の法則だ。
もし不老不死なんか実現したら、時間の概念は無くなるだろう。時間というものは必要とされなくなる。そうすると我々の得るものも無くなるのだろうか。等価交換の法則に従って。

そんなどうでもいいことを考えながら、流れゆく人並みを見ながら、口はコーヒー牛乳で満たされている。そして時間が立てばコーヒー牛乳も無くなる。

空の紙パックをゴミ箱に捨てて、僕は家に向かって歩き出した。おなかはちゃぽんちゃぽん言っている。今おなかに貯まっているのは何だろうか。(もちろんコーヒー牛乳に間違いない)

我々はどこから来たのか どこへ行くのか、その答えはまだ見つかりそうもない。それでも今日は少し前進した気がする。今日の教訓は「コーヒー牛乳の紙パックを一気飲みするとおなかはたぽたぽになって、動きづらい」ということだ


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