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俳句に触れて三年目

自分でもこんなに熱を入れているのが、少々不思議な気持ちする。noteやってみて良かったことの一つが、俳句でありホロスコープ。

最近の自分の俳句事情を記しておく。
3~4年前、「みんなの俳句大会」という参加型の企画があり、仲良くしていたnoterさんの影響でチャレンジしてみることとなった。そしてnoteの中のメンバーシップ「俳句幼稚園」に参加してご指導いただいたり、俳句ポスト、俳句生活への投稿や時々「句具」句会やネプリに入れていただいたりして、自分の趣味とか楽しみの範疇で取り組んでいる。

昨年、地元の俳句講座を受講した縁で、リアルの句会にも参加している。
ネットでもリアルでも、句会では思うような結果が出せなかったり逆に身に余る高評価をいただいたりすることがある。ネットとリアルで同じ句を出してみると、評価が分かれることもあって、場の雰囲気に影響受けたり、善し悪しより好き嫌いだったりするのかなとも思う。

まだまだ、未熟ながらも少しずつわかってきたこともある。
俳句は写生。自分、ついつい気持ちとか感情をダイレクトに詠んでしまいがちだけれど、「つらい」「楽しい」「嬉しい」「哀しい」「切ない」「好き」「嫌い」「かわいい」「やさしい」等々・・・これらの言葉は極力使わないで、そこにあるものを描写してそれらの感情を表現すること。
要するに具体的な物や景色をより具体的に言語化すること。
最近は、ここがネックになって中々言葉が当てはまらないで寡作になっている。日々、ステレオタイプな見方に引きずられたり、大雑把に物事見すぎてるんだな~って反省する。

そして、多くの句に触れてみて、他者の鑑賞を見聞きすると自分の未熟さをより感じてしまう。詠みの不充分さ、詩的表現の欠如、鑑賞眼の薄さというのが、一つの課題だなって思う。投稿された句を自分は選に取らなかったけれど、他の人の鑑賞に触れると「ああそうだったんだな~」って視界が開けた心地がして、その句の魅力に気がついたりする。
一人で気楽に詠むのも良いけれど、誰かの存在があって広がる世界もある。

そんなこんなだけれど、自分のスタンスは変わらず、どこかに投稿する句は俳句として認められる形で少しでも上達するように学んで行く。
それとは別に、自分の心境や心況で詠みたいこと、表現したいことはそのまま正直に素直に吐き出していく。

いつも同じ熱量で詠んだり、読んだりはできないけれど、ボチボチとコツコツと一生の楽しみにできるようにマイペースで取り組んでいこうと思う。