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会社から帰れなくなった日

社会人一年目適応障害で半年休職して今復職して3ヶ月すぎ、出社日だけどテレワークにしてもらったり全部予定通りこなせる訳じゃないけど、なんとか3ヶ月やってこれた。

最初は人事と会う、次は会社の方向の電車にのる、会社のあるビルに入る、会社の人と会う。

それはほんの数ヶ月前に心臓が飛び出そうなほどの緊張と心に残る恐怖心を乗り越えてやっと出来るようになったこと。

ちょっと疲れてるな、ストレスが溜まってるなとは思ってた、だけど相談しようにもみんな忙しくてそもそも会社にいないし、半沢直樹もビックリの怒号が飛び交うチーム、やっと電車にのれるようになってきた程度のメンタリティーでは抱えきれなかったんだろう。

帰りの電車で涙と震えが止まらなくなり、途中下車。それもほんの数時間前の話、だけどぼんやりしすぎて大分前のことのような気もするし、もはや自分に起きたことでもない気がする‥。

明日が怖い、やらなきゃいけない仕事が理解できなくなってきた。いつも怒鳴ってる上司が怖い。やり方を誰も知らない期限付きの仕事が降ってきた。もはやなんで泣いてるかもわからないのに駅でそこそこな号泣、はたから見たらヤバい人だなというか当人ですらちょっと引いてる。

みんなは、休職してたことは知ってるけど通院してることも睡眠薬でなんとか寝てることも、復職してから薬の強さが2倍になってることも知らない。

なんかもう死んじゃうかもしれないって思った、でも上司に相談しなきゃ休めない、でもなんて言っていいかわからない。

駅のホームで震える手で電話をかけ、「今の勤務形態がしんどい」となんとか伝える。電話が終わった時には安心なのか不安なのかわかんないけど涙と鼻水でビショビショで人事が心配して電話をくれたときにはもはや鼻声のレベルを卓越した音が出てたと思う。

結局電車にのるのが怖くなってしまい、いい大人なのに母親に電話する。

「どうしたー?」

「デンシャノレナイ‥コワイ‥カエレナイ」

3歳児かと思うくらい言葉が出なくて今振り返ってみると、ETと人の交流レベルだなと思う。

仕事後に、そして明日仕事なのに父と母2人で迎えに来てくれた。

休職から今までずっと見ていた両親は、そして離れた所にいる私の兄も1人同じようにメンタルをやってしまったことが最近わかった両親はこの姿をどんな気持ちでみているのだろう‥でも多分親として「ごめんね」って言われるのも辛いだろう。

だからせめて明るく、「ありがとう」とだけ伝える。

私は何もなかったかのように「今日お昼にあれ食べた」なんて平静を装うけど、母は駅であったからずっと私の手を握りさすり続けていた。

その優しささえ私には苦しくうっとおしいと感じてしまう。

やるせなさとなさけなさを抱えながら辿りついた帰路は挫折と右折と挫折全部通った道だった。

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