見出し画像

なおさなきゃいけないのは私ですか?

せっかくの休日を使って、パワハラによって引き起こされた適応障害の経過観察のために病院に向かう。

大体、体調を聞かれて現状を答えて薬の説明をされて終わる。時間は大体10分くらいで、私はそれをするために片道1時間かけている。

言ったことを否定されないお悩み相談みたいだなと思いつつも一回でまぁまぁな金額がかかる。

今は薬を飲んで色んな事を調整しているから、まずはそれが落ち着くこと、それが出来たら薬を減らすステップにいくから、数年は通わなきゃいけないのかなぁなんて最近思ってる。

適応障害の診断を受けてなら、復職している今までずっと、感覚や得意なことと苦手なことのムラが大きいからデータをとりたいと言われている。

実費で一万以上かかるそれは、なんかよくわからないけど発達障害とかの診断にも使われるらしい。

得意なことと苦手なことのムラが大きいこと、何となく人と同じように出来ないことはこうなる前から感じていて、でも時間をかけたりサポートしてもらったりして結局できるようになるからその点について生きづらさは感じてない。

むしろ、得意なことと苦手なことがわかったって、会社も社会も何も配慮をしてくれないのなら知らないで通過した方が幸せに生きれるとおもう。

だって特性上この仕事苦手だなぁーっていうのがわかってるのに引き受けるのって嫌じゃないですか、やりながらなんか大変かもくらいに思って終わらせたいじゃないですか。

そうしぶる私には「治療だったり、通ってもらって練習したりしてサポート出来るかもしれない。テストを受けてデメリットはないと思う」と医者は言う。

そもそも、圧倒的パワハラによって引き起こされたこの病気がいつからか私の特性が‥みたいになっている。

少し前から思ってた、被害者が圧倒的に頑張らなきゃいけないこの状況。

例えばリワークの時に渡された冊子には、認知の歪みを治しましょうなんて書いてあって、それを治すためにはこの本に書いてあるように考え方を変えていきましょうなんて書いてある。

どう考えたって、沢山の人の前で怒鳴られて心のバランスを崩した私よりも、自分の感情をコントロール出来ずに怒鳴りちらかした先方の方が治す必要があるのに、なんでこっちばかり変わらないといけないんだろう。

周りは変わらないから自分が変わるしかないのはそうだと思うけど、それが自分の意思じゃなくて環境に強制されててさらにこちら負担で時間とお金がかかるなら話は別だ。

治すべきは私よりも向こうなんじゃないだろうか?

データで感情のどこがコントロール出来てないかを数値化されて、場合によってはその症状に名前をつけられ、本来なら見ないで生きていける自分のあらゆることと向き合い長い夜を過ごすのは向こうなんじゃないか。

本当に治さなきゃいけないのは、治療しなきゃいけないのは私なんですか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?