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サラリーマン時代の8つの後悔

先日、70歳古稀を迎えられた方とお話しをする機会があった。
僕にとっては人生の先輩であり、スキーの先輩であり、定年退職引退組の先輩である。

大手電機メーカーを定年退職され、今は悠々自適の引退生活。と言ってもアクティブだ。暇さえあればゲレンデに出てスキーを楽しむ。

70歳にして、卓越した技術を維持し、バックカントリースキーも何のそのの達人なのである。

そんな先輩との会話の中で、サラリーマン時代を振り返る一コマがあった。定年退職引退後に思うサラリーマン時代の後悔について。

山ほどの後悔を背負う僕に対して、先輩は「何の後悔もないし、そんな事考える事も無い」と言う。

どちらかと言うと、明るくポジティブな性格で、誰からも好かれる先輩であるが、「後悔はない」と言い切れる先輩が羨ましくもあり、疑いも感じた。

そんな先輩が、既に話題が変わっている中で言った。
「さっきの話、どうしてあの人とは上手くやれなかったのかな、と言うのは沢山ある」「あんな言い方はなかったな、とか」「みんな人に対することだね」

この話を聞いて、僕は少しほっとした。僕だけじゃないんだ。
サラリーマン時代の苦しみがここに凝縮されているようにも思う。
今さらではあるが、僕の後悔を並べてみよう。

1.自分の我を通さねば良かった。
同僚や部下と考えが食い違った時、僕は自分の考えを最後まで押し通そうとした。若かりし頃の米国勤務の影響で、堂々と持論を展開する米国人気取りでいたのだろうか。相手を立てる余裕も包容力もなかったのだろう。

2.頭ごなしに決めつけなければ良かった。
部下の報告を最後まで聞かずに結論を決めつけ、指示を出すことが度々あった。管理職として仕事に忙殺されていた僕は、たいして中身のない報告を聞くのがうざかった。自分の経験と知識と判断力に酔っていたのだろう。

3.捨てぜりふを吐かねば良かった。
苦労を重ねた交渉事が相手の問題で破談となった時、縁を切るような言葉を吐いてしまった。ビジネスは巡り合わせ。次につながる一手を放棄するなど愚の骨頂。落胆と怒りを鎮める術を知らない未熟さが出たのだろう。

4.つまらない見栄・矜持など持たねば良かった。
自分を大きく見せようといつも虚勢を張っていた。たいして価値のない矜持にこだわり、見栄を張っていた。お山の大将を気取ったところで、現実とのギャップに疲れ、虚しくなるのは自分自身だった。

5.年上の部下ともっと飲みに行けば良かった。
比較的早くに管理職になった僕には、歴戦の強者の如くの先輩が部下に何人かいた。どう接して良いのか戸惑った僕は、自ら距離を置いてしまった。戸惑っていたのは、むしろ先輩であったはずなのに。

6.もっと上司を立てれば良かった。
馬鹿な上司の言うことを聞き流し、斜に構えていた。自分の考え方やり方で、上司を打ち負かそうとしていた。僕は何と戦っていたのだろう。上司を味方につけることが、仕事の幅を広げ、自分のやり方を理解してもらい、承認によるリスクヘッジに繋がることを知らなかったのだろう。

7.もっとメリハリある評価をつければ良かった。
あちらを立てればこちらが立たず。部下の評価をつける時、一人一人を思うばかりに、どっちつかずの評価になっていた。結果として誰も昇進できないことになる。誰にでもいい顔をして憎まれ役から逃げてしまったのだろう。

8.もっと素直に人の話を聞けば良かった。
今にして思うと、上記の事柄は若い時からやんわりと指摘されていた事ばかりではあるまいか。
聞き漏らしたのか、聞き流したのか、はたまた意識してもできなかったのか。いや、意識の仕方が足りなかったと思うべきだろう。

後悔先に立たず。
正しく人に向き合い、素直に人の話を聞く大切さを今にして思う。


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