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孔子いわく、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順...ムリだ!

ここ数年、盆と正月になると生存確認の如く、大学時代の同級生から飲み会の誘いがくる。

僕ら4人は、とある関西の私立大学出身で、今では東京近郊に住む。
なんちゃってサークルで「真夏の琵琶湖を歩いて一周」なんて昭和的遊びを企画したメンバーだ。

因みに、琵琶湖は一周約200キロ。当時4泊5日で歩き通した。

自慢するほどのものでも何でもないが、二十数人のメンバーがお祭り騒ぎで歩いた懐かしい記憶が微かに残る。

僕らは、勉強ができたわけでも、運動に秀でていたわけでもなく、凡庸な学生時代を過ごしながらも、それぞれに所謂大手と呼ばれる企業に就職した。

バブル前夜、時代が良かったのは間違いない。
一人は政府系銀行マン、一人は外資系製薬メーカーの総務マン、一人は重機械メーカーの営業マン、そして僕は精密機械メーカー営業マンとしてのキャリアを進んだ。

あれからまもなく40年。
昨日はそんな仲間との飲み会で元重機械メーカー営業マンが言う。

「俺は、とりあえずはこのまま動ける限りは働くかな」

出た~、とりあえず働く。
僕は同年代世代がこの言葉を吐くと拒絶反応を示してしまう。

「特に熱中する趣味はない」と言う。
「旅行もたまにカミさんと温泉にでも行けたらいい」と。
「成人した娘二人もたまに相手してくれるし、それで十分」だと。

休みの日は何をしてるのかと聞いてみる。
「庭いじりと傷んだ家の補修」と言う。

地味だ、地味過ぎる。
でも、あらためて周りを見渡すと、地味な老後を送る人のなんと多いことか。

きっと彼にとっては、何処で何をするかより、誰とどう過ごすかが大事なんだろう。ともに過ごす人がいることの幸せで満足しているように感じる。

そう、老後をともに過ごす人の存在の如何に大きいことか。

一昨年には、熟年離婚率は23.5%に達したらしい。僕は大丈夫か?

定年、退職、専業主夫となり、趣味に旅行にアレコレと手を出し、バタバタした日々を送る自分が、なんだか一人空回りをしているように感じてしまう。

子曰、吾十有五而志乎学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。

孔子さん曰く、15歳で学問を志し、30歳で独立し、40歳で迷うことがなく、50歳で天命を知り、60歳で他人の言葉を謙虚に受け止め、70歳で人の道を踏み外さず自由に行動できるようになった、とか。

61歳にもなり、迷い続ける僕である。

つづく。






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