「贈り物」としてのノブレス・オブリージュ」大修館書店の現代文Bの教科書の文章だけど、みんなに読んでほしい。

子供の教科書をチラ見したら、面白そうだったので、
貸りて読んでみました。

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結論は、天賦の才能というのは、天からの贈り物で
返礼義務があって、それは皆に知らせる義務があると
ということです。

「贈り物」としてのノブレス・オブリージュ」という文章は
内田 樹さんという方が書いてみえます。

全文がネットに載っていないか探してみたのですが、
見つからないので、解説してみえる方のリンクを
貼ります。
https://bunlabo.com/gift-noblesse-oblige-n1/

詳しくは、この方の書いている解説を
読んでいただけると文章が想像できると
私は思います。

まず、リンク先の解説を読んでいただけますか?
読みたくない方は、この先を読んでも
意味がわかりませんので、このページから
離れることをおすすめします。

その文章は「贈り物」という形を例にあげて、
「贈り物」について、書いてあります。

「贈り物」というのは、形や価値や実用性が
あるものを思い浮かべるけれど、それだけではない。

文章を引用させてもらうと、
”「これは贈り物だ」と思った人がそう思った瞬間に
価値は生成する”
と書いてあります。

「挨拶」についても同様で、その考察が書かれます。
「挨拶」は、返してもらえないと、
無視された・・・。と勝手に思いがではありませんか?

引用させてもらうと
”挨拶したけれど返礼がないということになると、
気持ちが片づかない。片づかないどころか、
心に傷を負います”
と書いてあります。

どこかで「返礼義務」があるような固定概念を
持っていて、返してもらえないとイヤな気分になります。

これが、後半の「天賦の才能」につながっていきます。

「天賦の才能」とは、天から与えられた才能のことですね。
天というのは、どこか?という話は置いておいておきます。

引用させてもらうと、
”「天賦の才能」という言葉がありますね。それは自分に
備わっているさまざまな能力や資質を「天からの贈り物」だと
感じることです。贈り物だから、むろん返礼義務があります”
と書いてあります。

「天賦の才能」を言い換えれば、
持っている資質、努力しなくてもできることだと私は思います。
例えば、私が考える「天賦の才能」は、
絵が上手、計算が得意、細かい作業が得意、
文章を書くことが得意などですね。

ここからが重要です。
内田さんが考える「天賦の才能」は、
私が考えるものとは少し違っています。
そしてもう一つ、それは天からの贈り物だから、
返礼義務があると言っているところです。

ここが、内田さん本人が、人間として評価できるか、
できないかにつながっていきます。

引用させてもらうと、
”天賦の才能を豊かに持ちながら、
それを自己利益のためにだけ排他的に使用する人間を、
私は人間として評価することができません”
と書いてあります。

「ガ~~~ン」

天賦の才能は、天からの贈り物だから、
返礼義務があって、それを自分の利益のためだけに
使っていては、人間としては評価できない!!

こんなことを考えたことはありませんでした。
才能が発見できたらラッキー!
才能を発揮している人を見たら、羨ましい!
私も才能を発見、発揮してお金を稼ぎたい!

と思っていました。

後半は、ちょっとした「天賦の才能」が人の役に立つという
例をあげていました。

要約すると、腕力の強いひとは、自分の力を誇示して、
他人を威嚇したり、金品を奪うのではなく、
荷物を代わりに持つ、道に倒れている木や岩を
取り除いてあげることに使う。

背が高い人は、高いところのものを取る、
鼻がきく人は、お鍋が焦げたニオイに気づいたら
教えてあげる。
ということも「天賦の才能」だと書いてあります。

人の役に立てる、その人固有の才能、資質が
いくらでもあるのに、お金にならないから、
「自分には才能も資質もない」
「私には天賦の才能は無い」
と勝手に思っていませんか?

最後はタイトルの「ノブレス・オブリージュ」の
意味について書いてあります。

ネットで調べてみると、もともとは、欧米の道徳観のようです。
貴族のように身分の高い人は、それなりの社会的に対する責任や
役目があるという意味です。

内田さんの解釈は、少し違っていて、ここが再び、

「ガ~~~ン」

となったところです。

引用させてもらうと、
”すべての人間に中にはさまざまな種類の
「他人にはできないことが自分にはできる、
他人にはわからないことが自分にはわかる」
という固有の能力があります”

”もし自分以外、誰も気がついていないことに
気がついたり、自分だけにしか見えないものがあれば、
皆に知らせる義務が私たちにはあります”

と書いてあるのですね。

人にできなくて、自分だけにしかできない、
自分しかわからないものは、
皆に知らせる義務があるのですよ?

義務ですよ?
内田さんは、義務だと伝えています。

自分で勝手に、こんな才能、人の役になんて
立たないと決めつけていませんか?

決めつけることで、皆に知らせないで
自分だけで使っていませんか?

最後に、内田さんの考える「ノブレス・オブリージュ」を
引用させてもらいます。

”力のあり人は腕力を、知力のあり人は知識を、
目がいい人は視力を、鼻がいい人は嗅覚を、
隣人たちのために捧げる。これが私の考える
「ノブレス・オブリージュ」です。





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