カサンドラやめました。日本語で話しているかを確認したい病

英語が話せない、現代の小学生くらいなら話せるけれど、それも今の教育現場から消えて行っているであろう英文をカタカナで発音する程度。

なので日本語で生活しているし、それが当たり前の国に住んでいるし、全然困る事がなくて当たり前……のはずなんだけどたびたび困難にぶち当たった。

元夫との会話がうまくできないのだ。

私は絶対に日本語でしゃべっているはずなのに、それに対応した言葉が返ってこない。会話のキャッチボールが、全部暴投みたいな感覚。

頭は悪くない人だったし、周りの評判もそう。一方私は偏差値は中の上だったとはいえ高卒で就職を経験せず専業主婦になった身だったから、私がおかしいのか?と悩んだ。

今ならこれこそカサンドラ症候群の引き金の一つだとわかるのだけれど、そんな言葉も症状も何も知らなかった私はとにかく不安と不満でストレスを抱える日々だった。

なんでなのか、何が違うのか、どこがおかしくて何が悪くて伝わらないんだろうと当時は本当に辛かった。

でも不思議なことに友達や家族と話すとスムーズにボールが手からはなり、また帰ってくる、危なげなくストンと帰ってくる。楽しくて気持ちよさすら感じるほど私は「会話」に飢えていたらしい。

たぶん私が投げた早くもない曲がりもしない普通の球は、元夫の手に乗ってからとんでもない魔球となり何段階も姿かたちを変えているらしい。そしてそれに対して答えを乗せて帰ってくるもんだから、私に返されたものが私にはもやっとボールや紙風船、ひどい時はもう丸くもないわからん何かになっていた……んだと思う。

そんな経験からか、今も家族や友達と話しているときに想定解に全く入ってない返答が帰ってくるととても不安になるようになってしまった。あれ、今私日本語でしゃべってるよね?とパニックになりかける。

ゆっくりだけど回復してきていると自分でも思っているけれど、こんな風にまだまだトラウマトリガーとなる言動がまだまだある。自覚しているものもあれば「それ」が出てきて初めてわかるときもある。

なかなかうまくはいかないし、進んでは戻って、近づいては遠のいて。そんな毎日だけど、息をしているから、大丈夫だと思う。


そんなことを最近会話がうまくいかない母と祖母と話しながら思いましたとさ。


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