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被害者になるクセを辞めたい
被害者になるクセを辞めたい。
今ある環境や自分の中の負の感情を
相手のせいにして、私は悪くないんだと。
こんなふうになってしまった私可哀想だわと思うクセ。
恥ずかしながら、最近自分のこの思考のクセに気づいてきた。
問題に直面すると、悲劇のヒロインになりたがるみたいだ。
そっちの方がきっと楽だから。
そうやって昔から自分が背負わなければならない自分自身の問題を誰かのせいにしていた気がする。
例えば、中1の時は恐ろしくクラスに馴染めなかった。
いじめられていたり、無視されていたりではないけれど、
入学式の後の、新しいクラス。
別の小学校から来る新しく出会う人たち。
そのクラスの友達作りのスタートダッシュに乗り遅れたために、クラス内に心を許せたり一緒に行動するような友達が1年かけてもできなかった。
1人でいるがゆえに、
「無口で、大人しい子」
気づいた時にはそんなイメージが定着してしまい、その植え付けられたイメージの中でしか動けず息が苦しい毎日だった。
元を辿れば、全てにおいて受け身だった自分が悪かった。
これまで友達の陰に隠れて、友人づてで友達を作ってきたから、
1人で1からの新しい友達の作り方も分からず、
ひたすら話しかけられるのを待っていて自分からアクションを起こせなかった。
縁があれば、そのうち友達なんてできるだろう。
どこかで運任せにしていた。
だけど、周りを見れば仲良しグループは出来上がっており、どこかに入れてもらうことは1人誰かと仲良くなるよりハードルが高くなっていた。
「私を大人しいと腫れ物みたいに扱うクラスメイトがおかしい」
「なんで私だけ名字呼びされるんだろう、ムカつく」
と思い通りにならないことを相手のせいにしていた。
今ある関係は自分がそうさせたんじゃないの?
自分が歩み寄らずに出た結果なんじゃないの?
今ならその時のことを振り返って、そう思う。
だからと言って今ならあの時の環境で人間関係を上手く関係を築けるかと言われれば自信はないのだけれど…。
*
被害者になりたがる。
このタチの悪いクセを切り離せたわけではなくて、今でも時々ひょっこりと垣間見える時がある。
恋人との付き合いにしても、
相手が疲れていて構ってもらえない
→構ってもらえないことで機嫌が悪くなる
「愛されてるって実感できないと不安!どうしてもっと愛情表現してくれないの」
→愛情表現をしてくれない恋人を心の中で責めて、本当の問題である
自分で自分を愛すること、
相手に依存せず、自分の人生を歩んでいくことの大切さ
寂しいという感情に振り回されて
このことに向き合うことができていなかったりする。
感情に任せて相手を責めてしまいそうになるけど、
グッとこらえて、自分の感情を俯瞰して見るクセをつけたい。
被害者癖を続けて、それを表に出し続けていたら、友人や恋人。
きっと大事な人を無くしてしまう気がする。
そうやって無くした時に、また被害者癖を出すのだろう。
無限ループである。
今この瞬間に気づけてよかった。
ちょっとずつ、ちょっとずつ自分の思考のクセを、向き合うべきものとは向き合って。
生きやすい方に気持ちが楽な方に持っていこう。
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