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めがねとスカイブルー

スカイブルー、って誰がいいはじめたんやろう

眩しくて目を閉じても、その空の青がまぶたの上から透ける。そんなよく晴れた日、わたしは『めがね』という映画を家で見ていた。


きた

という合図とともに、サクラさんが荷物ひとつで颯爽と空港に降り立ち、真っ白な砂浜を歩く。そして、タエコがある海辺の一軒宿「ハマダ」に到着するところから、物語はゆっくりうごいていく。

いや、うごいているのではなく、この映画を見ている人が、「勝手にぶらっと、この海辺の街にお邪魔させてもらっている」というほうが正しいのか。人々は、時々タエコのような観光客を受け入れながら静かに暮らし、生活をしている。

この街のひとたちは、とてもマイペースで不思議で、ちょっと変わっている。でもそれを不思議だとは思っていないし、変わっているとも思っていない。それが彼らにとっての、日常なのだ。誰を傷つけるわけでもないし、悪いこともしていない。ただ「たそがれる」のがとても上手なだけ。そしてあたたかい。

最初はそんな街の人たちに、戸惑いをおぼえるタエコだったけれど、あたたかくも不思議な人たちと一緒に食卓を囲み、時を過ごすうち、だんだん、たそがれもうまくなっていき、固くなったこころもほぐれていく。


2時間もない映画だけど、ユージさんのつくるおいしそうなお料理、携帯電話もつながらない非日常の暮らし、ゆるい人とのつながりで、見ているうちにちょっとした旅をしたような気分になった。

そして、ざざぁー…ッ、ざざぁー…ッと繰り返す波の音、それに似合うように奏でられるチェロの音、そしてお肉をじゅう〜〜ッと焼く音など、様々な音が混ざり合って、それがとても心地がよくて、わたしはとろとろと、いつのまにか眠りにおちていた。

 ◇

「先生、旅は思いつきではじまりますが、永遠には続かないものですよ」

ハッと起きたときには、知らぬ間にヨモギという青年が登場していて、そんなことをタエコに言っていた。それから外国語で詩を読む。

何が自由か知っている 
道はまっすぐ歩きなさい、
深い海には近づかないで
そんなあなたの言葉を置いてきた
月はどんな道にも光をそそぐ
暗闇に泳ぐ魚たちは宝石のよう
偶然ニンゲンと呼ばれてここにいる私
何を恐れていたのか 何と戦ってきたのか
そろそろ持ちきれなくなった荷物をおろす頃
もっとチカラを
やさしくなるためのチカラを
何が自由か知っている

彼はそろそろ帰ります、と言った。

 ◇

タエコがマリンパレスに行って、女の経営者に会ったところまでは憶えているのだけど…と思いながら、空白の時間を埋めるべく、そこまで巻き戻して、物語を再度見直す。

あのあと、サクラさんが大きなスーツケースを抱えたタエコを迎えにいく。いつも包み込むようにおだやかなサクラさん、なのにこの時だけ表情が少しこわかった。そして、タエコを後ろにのせて、自転車を漕ぐ。

あずきをコトコトしながら、サクラさんはこんなことを言う。

大切なのは 
あせらないこと
あせらなければ
そのうちきっと



この時のあずきの味見をするサクラさんは、とてもやさしい顔をしていた。
両方とも、間違いなくサクラさんだった。

 ◇

同じ青なのに、スカイブルーとは違う、オーシャンブルー、

波はよくも悪くも日々を打ち上げ、また日々をさらっていく。
たとえ砂浜にラクガキが描かれたとしても、いずれは消えてしまい、永遠には残らないんだなあ、ということをなんとなく考える。

良くも悪くも、残らない。
だから今を大事にしたい、と強く思った。

 ◇

思い出したのだけど、今週の占いは、「流れに身を任せる」がテーマだった。

考えてみれば、流れに逆らってばかりだったように思う。あらゆること全部に意味を問い、答えを出すことにムキになっているようなところもあった。

ちょっと疲れている。

今はやっぱり逆らわないほうがいいのかもしれない。多分答えも出なくてもいい、出そうとしないほうが、いいのだと思う。

そう思いながら、よく見えすぎるコンタクトを外して、少し度の合っていないめがねをかける。それからレトルトカレーを食べて、もうひと眠りすることにした。

しばらく、まだスカイブルーは部屋に降り注ぐだろう。

いい午後だった。


ありがとうございます。文章書きつづけます。