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今を大切に生きている人を、誰も見放すはずがない

「なんか上手く生きてるよなあ」と思う人が、周りにはいないだろうか。

自分には1物も与えられていないのに、天はその人には5物ぐらい与えてるんじゃないかって思う人が。

絵に描いたように、幸せそうに人生を歩んでいる人が。

わたしの周りには、いる。

正直、「羨ましいなあ、いいなあ」と思うし、「それに比べて自分は…」と自分の状況に情けなくなるし、そういう人たちに対して、嫉妬もすごくする。


そういう時、高校生のときに聞いた、周梨槃特(シュリハンドク)の話を思い出す。

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周梨槃特は、お釈迦さまの弟子の一人だ。

彼は懸命に修行に励んでいたけれど、とても物覚えが悪く、人々から「愚かもの」と言われ、馬鹿にされたり笑われたりしていた。


何年修行を続けても、お釈迦さまの教えが理解できず、すぐに忘れてしまう周梨槃特は、あまりの自分のできの悪さに悩み、「自分はお釈迦さまからの教えを聞く資格がない」と絶望してしまう。


それを知ったお釈迦さまは、周梨槃特に「自分の愚かさを知るものこそ知恵あるものだ」と語りかけ、周梨槃特に一本のほうきを渡し、「『塵を払い、垢を除こう』という言葉を常に唱えて、掃除をしてごらん」と教えた。


周梨槃特は、お釈迦さまの教えの通り、毎日毎日何年も「塵を払い、垢を除こう」と唱えて、掃除をしつづけた。

そのうち、彼は 塵や垢とは何なのだろうという疑問がわき、そのことについて考え続け、ついにそれは自分の心の中に存在する汚れであることを、理解する。

そして、それはどの人の心のなかにも存在する、ということに気づいたとき、悟りを開くのである。


愚か者と言われつづけていた彼のことだから、「そんなことをして何の意味があるんだ」とか、「周梨槃特のくせに」とか、辛いことを色々言われたこともあったと思う。


それでも彼は、他の人よりも多くの時間がかかってしまったけれど、お釈迦さまの話を理解することができた。


当時から物覚えが悪く不器用で、なかなか成績も上がらず悩んでいたわたしは、この話を聞いて、随分勇気をもらったものだ。

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お釈迦さまが周梨槃特を通じて言いたかったことは、どんな人間でも「貪欲(むさぼり)」、「瞋恚(いかり)」、「愚痴(おろかさ)」の三毒の煩悩があるということ。


常に自分と他人で「愚かさ」や「賢さ」を比較していると、本当に自分が持っているものを見失ってしまう。

そこに気づかないことに、人間の本当の「愚かさ」があるということを説いている。



けれど、思うのだ。


周梨槃特は、今という時間をとても大切にした人ではないのか、と。

今を大切にする人だったから、掃除をし始めてからは、誰かと自分を比べることもなかったのではないだろうか、と。



考えてみると、愚痴や怒りで頭がいっぱいのとき、過去を見ていたり、他人を見ていたり、未来を見たりしていて、今という時間を見ることはない。

いつもそこにはないものを見ている。


とはいえ、「いいことを考えよう」「明るいことを考えよう」と思っても、考えられられないときのほうが多いだろう。

そんなときは、「今を大切にしよう」と思うほうがいいのかもしれない。


きっと今を大切にする人を、仏も幸せも見離さないと思うから。

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「もっとああしたらよかった、こうしたらよかった」という後悔も多いし、自分だけ遅れをとっていると思うことも多い。



…周梨槃特みたいにはなれないけれど。

そう思ってスマホの電源を落とすと、なんだか少し重い荷物を下ろせたような気がした

冷たい風が心地よくてスッとした。


ありがとうございます。文章書きつづけます。