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写真に対するスタンス表明
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#Lightroom

小さな非日常、秋の日はカメラ日和

仕事柄、一眼レフを持って外に出ることは多いのだけれども…大好きな人物写真を仕事という名目で好きなだけ撮れるという贅沢な環境にあるせいか、趣味で写真を撮る機会はめっきり減ってしまった。 でも、そんな自分がやたらシャッターを切ってしまう時期がある。秋の紅葉が進み、街が色づいてくる頃。普段は気にもとめない馴染みの風景が、やたら魅力的に見えてくる頃。この時期は、撮影が終わって閉じたはずのカメラキャップを気がつけば外していて。 華やかに彩られて普段よりちょっぴりグレードアップされた

レタッチで作る世界観

カメラが好き、写真が好き…という人は多い。 しかし撮った写真に対する"レタッチ"については、意見が分かれる所だというイメージがある。「撮って出しの、何の手も入れてない写真こそがありのままの写真だ。撮影後の写真に後付けで何かすることは邪道に感じる。」という主張もわからなくはない。 ただフィルム写真だってプリントに出せば、指定しない限りは何らかの補正は入るだろう。それを考えれば、多少のレタッチが写真の何かを損なう…とは自分には思えない。むしろデジタルの場合は、仕上がりを店任せ

へたくそな写真から見えてくるもの

今週末には初めての作品展が始まる。 ここしばらくはその準備にかかりきりでずっとバタバタしていたし、今もまだわりとそうだ。レポートは当日の朝に完成するタイプの学生だった、と言えばこの直前での焦りが伝わるだろうか。 先週いっぱいまでは、どの写真をプリントに回すかでギリギリまで悩んでいた。何年前まで遡るかを悩んだけれど、結局は出張撮影を始めた最初の写真から展示しようと決めた。そのせいで作業が増えた。Lightroom導入前のものについては、再現像をすることにしたからだ。 その選

¥300

写真のあなたが見せる顔

人の撮影をしていて面白いな、と思う事の1つが。 ちょっとしたことで、ガラッと変化が起こる事かもしれない。 同じ相手を撮っているのに、印象がくるくると変わるのが面白い。 例えば、着るもの。 ジャケットの色が違うだけで、イメージも変わる。 柔らかなベージュのジャケットは、キリッとした黒よりも 女性らしい華やかさが強調される。 それから髪型もだ。 イベントなどで、ヘアメイクが入るとその効果がよくわかる。 ふんわりかわいらしく、と軽く巻いた髪型と控えめなメイクに… ロッ

写真が楽しくなかった頃

「人として」写真を撮るということについて書かれた文章を読んで。 ああ、となんだか腑に落ちた気分になった。 もう随分と昔の事になるのだけれど、写真が全然楽しくない時期があって。 何を撮っても、なかなかピンとこなくて。 何を撮りたいのかも、よくわからなくなっていて。 迷ってるなぁ、って自分でも感じていた。 今なら、その理由がわかる。 自分の為に、自分の心の為に撮っていなかったからだ。 写真教室での課題の為に、人に見せる為に。 あの時期は確か、そういう意識でシャッターを切

物撮りは、Don't think, feel. 方式で

物撮りって、人物を撮るのとはまた違った視点が必要とされるので… どちらかというと、苦手だなぁって感じていたりします。 もちろん、テーブルフォトの本に目を通したり。 他人の素敵な写真など、意識してみるようにはしているけれど。 「こう撮って欲しい」ではなくて。 「お任せするから、あなたのセンスで素敵に撮って欲しい」なんて。 そんな風に言われて、「はいはい、どうぞお任せあれ!」と スッパリ言い切れる程には…なかなか自信が持てないわけです。 でも、そう頼まれたからには頑張りた

Not 桜日和 ~桜と写真とカメラの話~

今年の春は、どうにも桜に優しくない。 梅雨みたいに曇りと雨の日が続いて、風も強い。 よく晴れた青空の日、桜の下でお弁当を食べている。 柔らかな風が吹いたかと思うと、ひらひらと唐揚げの上に花びらが落ちてきた…みたいなシチュエーションは、どうやら今年は望めないらしい。 ただ桜写真を撮る、という楽しみが損なわれたわけではない。 晴れの日には晴れの日の、雨の日には雨の日なりの良さと楽しみがある。 昨日のお天気は、曇り時々小雨。 そしてこの辺りには珍しく、霧が出ていた。 いつも

良い写真、愛せる写真

"良い写真"という言葉には、少し苦手意識があるかもしれない。 その意味の幅広さに、自分の足元がおぼつかない気持ちになるからだろうか? 他人の"良い"は、自分の"良い"とは必ずしも一致しなくて。 それどころか良し悪しというのは、その定義によっていとも簡単に変わる。 そんな不安定さを持つ言葉だからこそ。 他人の口から出る"良い写真"は何を指すか、とても曖昧で。 その言葉にもたらされる、「相手の規範に合わせなければ」という意識と「自分の感覚を貫きたい」という思いとの葛藤が。ち

写真沼に、片足を突っ込んで

写真って、その入り口に立った時に考えていた以上にずっと… 底なし沼みたいな趣味だった。 まず、道具がいる。知識がいる。 この時点で、すでに膨大な情報が目の前に山積みで。 それらをあれやこれやとつまみ食いしながら、先を進んでいると。 今度は自分と向き合うことを要求される、という段階に入る。 何が撮りたいのか、どう撮りたいのか、良い写真とは何か。 撮れば楽しい、では終われなくなってくるのがこの辺り。 そろそろ撮った写真が溜まってきたぞ。 ブックにまとめよう、写真展をしよう

ハレの日ではなく、日常こそを

昨年夏に、母が急死して。 母の写真を撮っておかなかったことを、非常に後悔した。 後悔についての詳細は、はてなBlogに書いたのでここでは省くけれど… (参照:「母の写真」 http://photalk.hatenablog.com/entry/2017/02/01/120100 ) 撮られるのが好きではない人だったというのもあって。 ここ10年の写真なんて、結婚式や同窓会や旅先でカメラに向かってニッコリした写真しか見当たらない。 まぁそれでも。面影を偲ぶのに不足という程

例えば、ジャイアンとのび太のように

今日のテーマは、"文章の力"と"写真の力"。 ワークショップの中で、「文章では表現できない、写真の力」 というフレーズを、幾度も先生の口から耳にした。 言葉を尽くしても伝わらない事でも、目の前に提示されることにより 一瞬にして理解を深めることができる。 "見る"という行為にはそれだけ、言葉とは違う圧倒的な部分がある。 だからこそ、写真を選ぶ・見せる時には文章の力は必要ない。 文章の補足なく、写真の力で魅せるものを選ぶべきだ。 たしか、そういう趣旨の内容だったように記

「好きなものに自覚的だね」

「他人と写真を撮る意味」から続いています。   今回の撮影を通して気づいたことは、街撮りにはあまり興味がないということ。LikeはあるけどLoveがない、熱量不足。グラフィカルな写真、目に付いた面白いもの。そういうのって、どうやら自分にとってはわざわざ撮る対象ではないらしい。(人の撮ったのを見るぶんには、面白い)  ノスタルジックだったり、身に付けるものの色使い、  植物などの生の要素を感じられるもの、生活の気配。 そういう人に近い、よりウエットなものに惹かれている。無

他人と写真を撮る意味

先日、ひさびさに参加者の立場でワークショップへ行ってきた。 「街撮りして、セレクトして、見せる」 それを東京から来た写真家さんに講評してもらう、という内容で。 "見せる"を意識して自分が選んだのは、結局たったの3枚。 「午前11時の歓楽街」(広島・流川) 単体で好きな写真ではないし、そういうのは他にあったのだけれど… 「言葉の枠で縛らない」「説明的な写真は選ばない」という先生の言葉を念頭において、選ぶならば。今回撮影したものの中ではこの並びの組合せが、"見せる"