見出し画像

「指導と評価」から見えてくる日本の教育の問題点とは

「指導と評価」

この言葉は、先生を経験している人なら何度も耳にしているのではないでしょうか。

もちろん、ボク自身も12年間の教員生活の中で何度も耳にしてきました。そして、ボクはこの言葉にずっと違和感を感じてきました。

最初は「へー指導と評価の一体化が大切なのかぁ」とあまり深く考えてはいなかったのですが、なんか引っかかっていたのを覚えています。

程なくして、ボクは自分が感じていた違和感についてしっかりと考えてみました。すると、ボクが感じていた違和感の理由がわかってきました。

その理由は

「指導が先にきていること」

指導が先にくると、なんだか「こんな人間をつくる」というような設計図が先にあり、生まれもった個性を無視している感じがするのです。


「教育ってロボットをつくることだっけ?」

評価よりも先にくる指導は「このような作業ができるように」と目的をもって打ち込むプログラミングのようです。言い換えるならば洗脳ですかね。

つまり、学校は、いうなれば教育という名の仮面を被った国家に都合がいい人材をつくる洗脳施設なのではないか!そんな疑問さえ感じるようになりました。


教育基本法第一章第二章の二には

国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう・・・

このように「自己の人格を磨き」という文言がしっかりと記載されています。「自己の人格」を尊重するのであれば、指導より評価が先にくるべきではないか!ボクはそう思います。

先に評価しなければ一人ひとりの人格(個性)を把握するなんて不可能なのです。しっかりと評価をし、その子一人ひとりの個性を捉えて初めてその子にあった指導が成り立つのではないでしょうか。

そういった意味で「指導」が先にくる教育は間違っている!とボクは言いたいです。


子育てで考えてみれば、指導が先だなんてちゃんちゃらおかしなことだとわります。

我が子の個性を全くもって無視して、親の思い描く人間にしたいと教育すれば失敗することは明白です。

そんな子育てにおいて当たり前といわれる大切なことが、学校だからという訳のわからない理屈で無視されることは許されないのです。

今の学校システムがダメなら、早急に個別最適化したシステムへと転換していかなければいけません。

子どもを不幸にするシステムは害でしかない。学校は幸せになる場所であってほしい!そう願ってこの記事を綴っている次第です。


今後、「個性を大切にできる教育環境」が当たり前になっていくためにも、評価が先にあってほしいと思っています。


以上、ガクせんでした。

最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?