大人は「全肯定の呼吸」を身につけよ!
どうもガクせんです。
先日、ボクはこんなツイートをしました。
みなさんご存知、大ヒットアニメ鬼滅の刃の「全集中の呼吸」をもじらせてもらったわけですが、このツイートには、ボクの切なる願いが込められていたのです。
その願いとは
「どんな子どもも肯定される世の中になってほしい」
ということです。
ボクは、12年間、小学校教員として働いてきました。
そんな12年間という長い時間を、学校場所に身をおいてきたわけですが、ボクはずっと教育現場に息苦しさを感じていました。
なんだか、酸素が薄いというか、殺伐としているというか・・・。
そのように感じていた原因は複雑に入り組んでいて、一言で言い表すのは難しいのですが、一つの大きな要因として言えることは
「学校は不寛容な場所であった」
ということです。
最近では、共通言語になりつつあるブラック校則を筆頭に、数々の学校教育の歪みが浮き彫りになってきていますが、その根本的な原因はこの不寛容性にあるといえます。
もう少し詳しく説明すると、「こうあるべき」という大人が勝手につくり出した理想の人間像に、まるで鯛焼きをつくるかのごとく子どもを当てはめようとしているのが現状です。
「あれやっちゃダメ」「これやっちゃダメ」「あれしなさい」「これしなさい」
そこにはリベラルなんてありません・・・。
もちろん、その理想の人間像から遠い個性をもっている子どもは否定され続ける毎日・・・。
そりゃ日本の子どもの自己肯定感が低くなるわけだよね・・・と一教員であったボクでさえ考えてしまうわけで・・・。
でも、よくよく考えてみてください。この世に全く同じ人間なんていますか?全く同じ個性しかいない社会ってありますか?
答えはNOですよね。
そんな当たり前の前提を無視して「理想の人間像」を掲げること自体がはなからおかしいのです!
「みんなちがってみんないい」なんて耳ざわりのいい言葉を発するのならば、まずはその「こうあるべき」を捨てようよ!と叫びたい。
そんな思いで、大人は「全肯定の呼吸」を身につけよ!とツイートさせてもらいました。
その子がその子らしく生きられなければ、本当の幸福なんてありえないのです。
「え!じゃあ子どもに好き放題させちゃっていいわけ?」
というツッコミを入れたくなった方もいるかもしれません。
ボクが言いたいのは、まずは「全肯定」という姿勢をもち、頭から否定的に入るのをやめるべき!ということです。
まずは、その子の全てを「全肯定」
そこから全てはスタートです!大人の価値観なんて二の次でいいのです。
ボクも数多くの教育者、保護者と出会ってきましたが、心から子どもに慕われ、すごいなと感じる方々は、全員といっていいほど、まずは「肯定」から入るのです。
例えば、子どもが悪さをしてしまったときに
頭から
「何やってんの!いけません!」
なんて絶対に言いません。
「どうしてそうしたのかな?」
と理由を聞くとことから入ります。
つまり、子どもの考えを受け止めようとするのです。「何か、その子なりの理由があるのだろう」と肯定する姿勢を崩しません。
もし、その理由が社会的に間違っているものであったならば、初めてその時、「私は、それはよくないと思うな。理由はね・・・」と大人の価値観を伝えてあげればいいのです。
はじめに肯定され、対等に自分を受け止めてもらえていると感じた子どもはその言葉を素直に聞き入れることができるでしょう。
まとめると
とにかくどんな子どもであろうと「全肯定」
という姿勢を大人が体得できたならば、「子どもはきっと幸福になれる!健全に成長できる!」のです。
そのためには、厳しい修行を経て炭治郎が「全集中の呼吸」を体得したかのごとく、我々大人も鍛錬を重ね「全肯定の呼吸」を体得していかなければいけません。
これは、我々大人に課された責務なのだとボクは感じています。
今すぐには無理でもきっとできるようになります!
「全肯定!」
みんなで子どもたちのために使っていきましょう!
以上、ガクせんでした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
良い1日を!
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