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上手になんて、かんがえなかった。


料理をするって
小学校の頃は大人が作るのが当たり前だと思ってた。

中学校に入って、だんだんと自分が作る機会も増えてきて
高校時代には気づいたらもう親はやることが減っていって
自分がやるのが当たり前になっていって
専門学校時代には、もう簡単な料理は自分で作れるようになってた。


タイトルでも書いたけど
そんな感じで私が料理を作るきっかけになったのは
「誰も作らないから作る」とか
「下手でも食べれたらいい」が最初の最初。


その頃は楽しさとかは微塵も考えないで
ただ「生き残るため」だけの料理だったなぁと思う。


だから
誰かのためを思って作るっていう感覚は
あんまりなかったなぁって思う。


いってしまえば、【その場しのぎの料理】といってもよかったかな。


自分にも、他人にも愛のない
けどその時はそれが精一杯だった私の料理を作るってことは
そっから始まって


私が味について考え出したのは
専門学校を卒業して、離婚してずっと会ってなかった父と暮らして
誰かの味を知ることでやっと
「誰かのために何かしたい」が出てきたのが最初だったかもしれない。


そこから
今に至るまでに、私が料理のやり方を学んだのは
父だったり、仕事先の補助とかで覚えたり(パン屋が主ですが…。後カフェかな笑)


それ以外はほぼ独学。
教わる機会もなく、感覚でやり続けてという感覚だから


すごいね!と言われるたびに
感覚があまりなかったのを覚えてる。

だってその時の自分の中では
「すごくはない。別に生きるためにやってるだけだ」
の使命感しかなかったから。


高校時代から染みついたものって
なかなか抜けないんだなぁと今だから思う。

あの頃から40代で体を壊すまでは
私は生き延びることが大前提でお料理をしていた。
作り方なんて見よう見まねがほとんど。


学生時代は「母が料理しないから私がやってるんだ」って怒りが
最初は強かったかな…笑

でもほんとは
何もしない母に褒められるきっかけが欲しいから
頑張ってただけなんだろうなぁって今思う。


だってあの頃は
何をやっても怒られてばっかりで
でも唯一「洗濯とか料理とかやってくれて助かる!」
って言われるのが、反抗期も合間にありながら
私は嬉しかったんだろうなぁって思う。

だから続けられたし。
専門学校卒業してから父と暮らし始めた時も
料理は、私にとっては息抜きの一つで、生き残る術とか
結構でっかいもんになってたなぁ。


母がいなくなってからは
褒められるよりも疑問に思われることのが多かった。

今でこそ
「おいしー!」って笑顔で味わえてる料理も
昔は食べてる間、ずっと眉間にしわが寄ってたらしくて


「お前はほんとに美味しいって思ってるか?」


とよく言われたものだ。

でも今言われるとそう突っ込まれちゃうのも
当然の行動をしてた。

私は食べながら
次の予定のことばっかり考えてたから
間近のものに浸る、ということが全くなかった。

だから
お料理に愛がなかったのかもなぁと。
今は思う。


無自覚にやってることを
父に突っ込まれてよかったなぁ、なんて今は思う。


だってそうでなければ
私はずっと美味しくなさそうな顔をして
美味しい料理を味わっていたのだから。




ちなみに今はオンラインサロンで習ったことや
自分が感じたものを大事にしながらやっていたりするので


何かをやりながら食べていたとしても
一番に浸るのはご飯一択、になった。


それはきっと
難病の入院生活の前に、小腸炎で入院してて
絶食5日も喰らったのがめちゃくちゃ役に立ったんだと思う。


あの時
ご飯を食べるのが
「まだか」
「まだかなぁ…!」って待ち遠しいくらいに
毎日点滴一つで過ごしていたので


ご飯どきの大部屋のご飯の匂いたるや…
いやもうほんと、あの空間はなかなか堪えました…笑


やっと解禁になった後の
味もほとんどしないのに食べられることの幸せを
じっくり味わえたことが


私にご飯を頂けることへの感動と
「めっちゃ浸ろう」って思わせてくれたから


過去の経験が
私を今じっくり浸れる道に戻してくれたのだろうなって思う。


あとオンラインサロンとかでお料理を学んでいたことも
それを学ぶ前に自分が無自覚でやってたことが
結構多くあって。

経験って、何ひとつ無駄にならんなぁと。
しみじみ感じている。



あとよくInstagramとかで料理を出すたび言われる
「美味しそう!」
「食べてみたい!」
と言われる、最近の私のお料理色々なんですが……


ちなみにこれは、ちょいと前に作った粗めの卵サラダ


多分それは
そんな独学料理でやってきた私が
色々な経験から、
「美味しくなーれ」「美味しくいただけますように」と
そんな想いを込めて作ったものが


画像にメキメキと現れているのだろうなと思います♡


みる人の心にそうやって思ってもらえるのは
見よう見まねが、自分の中に少しずつ沁みしみーってしてきた
証なんだろうなぁって思う。


だから
よく自分の仲間も含めてお料理出来ない勢に伝えたいのは
自分でも、相手でも
作りたい人への気持ちがあって出来たもんなら、なんだってそれは


りょうり」なんよ、って私は思う。
誇らしく思っていいよ!って
私は、思うよ。


「そんなすごいのとか出来ないよ」
「どうやったらそんなに美味しく出来るの?」


ってよく聞かれるけど。
私は正直、そこらはあんまり考えすぎないでやってるのです。


大事なのは
これは私の場合だけど
「どう作りたいか」だけ、考えたらそれでいいと思う。


上手に、とか
形がー……!とかは
後からいくらでもやってけば
理想はついてくるから
最初はまず思うように挑戦してみて欲しいなっていつも思う。


お料理っていつだって学びだから。
失敗することがバツマークじゃないと思うんだ。


視点を変えるとやらかしたことで
もちろん凹みはするけれど
それでもそれは、決して無駄ではないと思うんだ。


失敗しても、それは『次こうしたらいいじゃん!』
って始まりだと私は思うんだ。


だから失敗したら
「次はこうしてみよ!」って思ってみて欲しい。


失敗は無駄じゃなくて
次への気づきだから大丈夫さ!


そしたら
料理で失敗しても別に悪いものには見えなくなると思うんだよね。



経験はどんな時も人を活かしてくれるもの。


料理が映えても、映えなくても
自分がどうありたいか、分かんないよーってなったら
経験してる人の本に頼るのもいいと思う。


お料理のことを
振り返るのにも自分の中の愛を知るのにも
忘れた気持ちを思い出したい時には


こんな本もあるので
ぜひ読んでみてほしい。おすすめです♪


私お料理で疲れちゃうこと最近多くて
それで読んだけど、そしたら元気になれる言葉めちゃめちゃたくさん散りばめられてて、読んでみてすごーく元気もらったよ!


と、最後に勧めて、今日は終わろうと思う。



見てくれるだけでもほんと嬉しいのにね。 そこまでやっちゃうあなたはそれだけでマジで凄いです♪ありがと! 頂いたものはこれからもマイペースに書くためのゆるみ時間のときに使わせて頂きます♪