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〇〇の谷を見に行こう♬:広島県中央南部中山間地域【ふるさと探訪vol.16】

都道府県シリーズ2周目の広島県。西条盆地を題材に長いことアレコレと語りましたが、今回でひとまず最後です!

場所は?

再確認しましょう。

スーパー地形(カシミール3D)より抜粋した画像をもとに筆者作成。
なおカシミール3Dは元データとして国土地理院の「電子国土」を使っているそうです(出典:国土地理院ウェブサイト
※トップ画像や以下の地形・地図画像すべて引用もとは同じです。

広島県は中国地方の瀬戸内海に面した場所にあります。

中央南部中山間地域は上図のです。

⑧地域は上図のように11市町それぞれの一部または全域です。
そして今回のテーマ地域は広島市南西の赤丸の場所です。

〇〇の谷

このように言うと「風の谷のナウシカ」を思い出しますが、まさにそのつもりで表現しました。
よくテレビで放送されるので意外に思う人もいるかも知れませんが、なかなかの昔・・。私が子供の頃の作品です(笑)
当時はガンダム等のロボットアニメに夢中だった私にとって興味は薄く、「~の谷」なのに「国」なので、違和感をおぼえる程度でした。

でも今はその意味が良く分かります。
「谷」は人間の集まりの単位として、非常にポピュラーで基本的なのだろうと感じます。

場所は熊野盆地の北で熊野川沿いの平坦地が狭まりはじめるあたりです。
上図の赤丸の地域を拡大します。

伯耆(ほうき)谷奥之谷と書いてありますね。まさに谷沿いの集落がそのまま地名になっています。
伯耆と言えば伯耆国(ほうきのくに)で今の鳥取県西部あたりですが、何か関係があるのでしょうかね?

この辺りでは熊野川沿いよりも谷の方が家が多いのが気になります。
おそらく熊野川の谷幅が狭いため、たびたび洪水被害があったのではないでしょうか?

さらに拡大すると谷幅は割と広く、なだらかな地形が多いですよね。そのなだらかな谷を目いっぱい水田にしています。
この地域の地質は風化により崩れやすく、たびたび土砂が流出したのでしょう。だから耕しやすい緩やかな谷ができました。
土砂が流出したということは、土石流が起こった可能性を示しています。

つまり先人たちは、災害の危険よりも食糧生産を優先したとも考えられます。また逆に谷に溜まった土砂を水田にして人間が管理することで、それが災害を避けたり被害を最小限にすることとなり、命をつないできたのかも知れません。

地形図だけで見ると棚田の様子がよく分かります。
そして奥之谷沿いの北側の斜面は細かい凹凸が多く、頻繁に土砂崩れが起こったろうと推察されます。
やはりたびたび災害に遭いながらも住み続けたのでしょう。

地質は?

地形的特徴は当然、地質と関係しています。

地質は意外にも花崗岩(濃いピンク)ではなく溶結凝灰岩(薄いピンク)でした。
溶結凝灰岩は一般的にガチガチに硬くて風化しにくく崩れにくいのですが、部分的に溶結していない場合があり、そこは崩れやすくなります。
また、この辺りの溶結凝灰岩は熱水変質作用を受けているようなので、そのせいで崩れやすくなっていると考えられます。(※これについては別の機会に話します)

〇〇谷という地名の地形を見るだけでも、昔の日本人の生活を想像することができます。そのような目で地形図を眺めるのも楽しいと思いませんか?

お読みいただき、ありがとうございました。


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