見出し画像

佐賀の激熱/激アツスポットを巡る! 国内旅行記・佐賀編Vol.7

こんにちは。日本の色々なスポットを巡りながら、その土地の魅力と感じたことを書き綴っています。

今回は佐賀編最終回。激熱温泉と古代王国を巡った記録を紹介します。

前回、灼熱の伊万里と有田歩きを滝のような汗をかいたので、サッパリするために武雄温泉へ。上有田駅から電車で約30分、武雄温泉駅に到着。

この駅は2022年に開通した西九州新幹線の始発駅。開通に伴ってリニューアルされた駅舎は、オシャレでスタイリッシュ。外観は少し歴史を感じる造り。

さて、お目当ての武雄温泉へは駅から約10分。よし、歩きます。

温泉街っぽくなってきました

■1300年の歴史をもつ名湯「武雄温泉」

この温泉の歴史は古く、現在から約1300年前に編纂された「肥前国風土記」に記述があります。同じく県の西部にある「嬉野温泉」と共に佐賀を代表する名湯です。歴史上の偉人も多く立ち寄っており、宮本武蔵、伊達政宗、吉田松陰、伊能忠敬らがこの温泉に浸かったそうです。

武雄温泉のランドマークの楼門は、敬愛する佐賀県出身の建築家、辰野金吾が手掛ており、釘を1本も使わずに建てられています。

あまり時間もないし、早く汗を流したいのでそそくさと温泉へ。

<武雄市環境協会HPより>

武雄温泉の元湯にあるのは、源泉に近い温度の「あつ湯(45.5~44℃)」と、すこし温度が低い「ぬる湯(43~42℃)」の2つ。なかなか高い温度なので、まずは、ぬる湯から試してみるのがおすすめの入り方だそう。

ちなみに自分はガンガンに日焼けしていたので、あつ湯どころかシャワーですら熱い、というか痛かった。

泉質は弱アルカリ性で、肌によくなじみやすく保湿性が高く、そこまでヒリヒリしなかった気がします(たぶん)。

平日だったこともあって途中からは貸し切り状態に。歴史深い名湯をゆっくり楽しめて大満足でした♪

温泉で疲れを癒して駅に戻り、電車に乗ること約1時間。いよいよ佐賀旅の最後の目的地の吉野ヶ里公園駅に到着です。

公式サイトの情報によると駅から遺跡までは徒歩で15分。しかし実の事を言うと、『THE遺跡!』と言える光景にたどり着くまでには30分ほどかかるのでご注意を。

到着まで長かった~

公園の門を過ぎると幅広い階段と、ゲートのような空中回廊が見えてきます。

ここまで完璧で綺麗に整備管理されている公園施設ってあまりない気がする。それほど重要な場所ってことなんですかね。さらに奥に進み、チケットを購入していざ古代王国へ。

雰囲気が出てきました


■現代に甦える古代王国⁉︎「吉野ヶ里歴史公園」

卑弥呼といえば、誰もが小学校で習う日本史において外せない重要な人物で、そんな彼女が住居していたとされている国、「邪馬台国」。中国の歴史書『魏志倭人伝』にて存在を明記されるも、日本の書物には一切の情報が無く正確な所在については不明。現在でも「幻の国」として知られています。

<やよいミュージアム 魏志倭人伝より>

そんな中、日本各地ではいくつもの邪馬台国と疑わしき遺跡が発掘されており、ここ吉野ヶ里遺跡もその中のひとつ。当然、各地では「ここに邪馬台国があった!」と、論争が起きているみたいなのですが、なんと最近、その論争に一石を投じる発見があったのはご存知ですか?

2023年5月下旬~6月上旬、吉野ヶ里遺跡内部にあった日吉神社の境内(移転済み)「秘密のエリア」にて、重要人物のものと疑わしき石棺が発見されたました! 現在も調査が進められ、付着した顔料などから着実に証拠が揃い始めており、これはひょっとするかもらしく、いま吉野ヶ里は激アツスポットなんです。(詳しいことはググってください)

探索に戻ります。この公園では遺跡を参考に、かつてこの地にあった村(国)や田畑が再現されています。下の画像は村の入り口?の門。上には鳥の形をした木の模型が3つ乗っかているのが特徴です。

さらに奥に進むと、柵に囲まれた村が見えてきました。

教科書で見たことのある光景!

いざ入村。外からも見えていた背の高いた建物は物見櫓。この村には4か所配置されていて、外部からの脅威にいち早く気が付くために役立っていました。

上からの景色

エリア内には竪穴式住居の復元もあり、中に入ることも可能です。

貴族の住居

狭い入口とは打って変わって内部は結構広め。温度や虫への対策といった生活環境を考えられた構造になっていて、先人たちの知恵と技術に感心します。

王の住居は門と塀、庭、屋根上には装飾が付いています。装飾以外は現在の有力者の家とそんなに変わりませんね。

これは食料を保管・貯蔵するための高床式倉庫。害獣の被害を防ぐために床を地面から離し、柱にはネズミ返しが施されています。

高さ16.5m! 当時の最大建築とされています

公園の奥の村には、ひときわ高くて大きな建物があります。ここが卑弥呼の住居! という訳ではなく、儀式で使用されていた祭殿とのこと。

一面が小さい

園内にはこじんまりとした田畑の復元エリアも。当時は米、粟、ひえ、小麦といった穀物が主食。現在に至るまで一体どれほどの米がつくられてきたのでしょうかね。お米大好きなので先祖様に大変感謝です。

1時間ほど巡って入口に戻ってきました。かつてこの地で繁栄していた村や国を体験できるいいスポットでした。ここでは見るだけでなく、勾玉や鏡の制作、火おこし体験もできるみたいなので、自由研究のネタに困ったら来てみるのもいいかもしれません。

県内の最後の目的地を巡り、いよいよ佐賀とはこれでお別れです。次はいつ佐賀に来れるのかなあ。必ずまた来ます。


最終日は博多に宿泊しました。もつ鍋とゴマ鯖がめっちゃ美味かった!

■旅の終わり

いかがでしたか? これにて佐賀編は終了です。4日間歩き倒した旅でかなり疲れましたが、色々ことを経験できてとっても充実した旅行でした。

70Km!

唐津のナイスなご夫婦から聞いた話によると、佐賀県の魅力度ランキングは2022年の集計だと最下位になってしまったそう。まあ、住んでいない自分が言うのもお門違いですが、本当にくだらないランキングだと思っています。

色々な考えの人がいるので否定はしません。が、少なくとも偏見のみで最下位の烙印を勝手に押されるのはなんだかなあと、まあ、結局外野は外野、言わせておけばいい。自分が行きたい場所、会いたい人に会いに行けばいいんですよね。そこが魅力度最下位の場所であっても。

では、また次の旅で!


Tsuchinoco



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?