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今この国は、ダークヒーローを必要としている

参院選で当選してから一度も登院していない議員さんがドバイに滞在にいるでしょう。ガーシー議員。

ぼくは普段、個人名を出して何かを言うことはしないのだが、あえて出したということは

ほめるつもり

だということだ。今、国民に総バッシングされているガーシー議員を激励してみたい。

腹が立つのはもちろんだ

さて、参議院議員の給与は月額約130万円。さらに年2回計600万円のボーナスが出たうえで、諸経費を合わせれば、6年間で総額2億円くらいが支給されるらしい。けっこうな額である。

それだけもらっておきながら、まだ一度も国会に登院していない議員に腹を立てている国民は多い。

ぼくも数日前までは同じ気持ちだった。ただし、ワイドショー的なさわぎにのっかってギャーギャーいうのがイヤだったので無視していた。SNSで取り上げるつもりもなかった。

正確には、腹立たしいのは議員本人ではなくて、彼に投票した28万人あまりの有権者だ。このアホな28万人を一人ひとりあぶりだして、ガーシー議員の活動費を負担させるくらいことはやってほしいと思っていた。腹立たしいのはみなさんと同じだ。

でも、このところちょっと考えが変わってきた。この人にはいろいろ問題はあるにせよ、存在意義もある、というふうに思えるようになった。

日本人のメンタリティー

結論から言うと、彼の存在は、日本人のメンタリティーを変えるきっかけになるかもしれないと考える。

「日本人のメンタリティー」とは、生活に困窮しても生活保護を恥と考えて受給を潔しとせず、自殺してしまうようなメンタリティーのことである。

厚生労働省のページには

生活保護は国民の権利です。
生活保護を必要とする可能性はどなたににもあるものですので、ためらわずにご相談ください。

生活保護を申請したい方へ

とあるにもかかわらず、小田急線の玉川学園駅で、50代の娘と80代の母親が特急列車に飛び込んだ。また、大阪市港区マンションで40代の娘と60代の母親が餓死した遺体で発見された事件もあった。

なぜそうなる前に生活保護を頼らないのか。生活保護は国民の権利であり、彼らをを救うために用意されたものだ。

ミサイルの足りない部隊にミサイルが支給されるように、生活費の足りない国民には生活保護が支給されるのである。それ以上でも以下でもないし、どちらも民主主義の「ルールにしたがって決められたこと」なので、感情論でどうのこうの言うことではない。

ところが、この「ルールに従って決められたこと」を空気を読んでホゴにするのが日本人のメンタリティーというやつなのだ。日本社会が機能不全に陥る場合は大体このエモさが原因であり、ぼくはこれが嫌いなので、あえて「日本的なエモさ」と呼んで蔑視している。

ちなみに、ぼくがこのnote内で「エモい」という言葉を使う場合は、この「日本的なエモさ」のことを指している。「全人類共通の感情機能」みたいな一般的な意味で使ったことはない。

「エモい」という言葉をやや悪意を込めて使っているわけで、「日本的なエモさ」をあえて定義するなら、

情に流されてルールをないがしろにすること

だと言ってもいいだろう。

殺人事件の犯人の家族を自殺に追い込むメンタリティーもこのエモさである。ムラ的な感情と呼んでもいい。

冷静に考えれば、加害者の家族が犯行の責任を問われる筋はないのだが、そういう人を寄ってたかって自殺に追い込む「理屈抜きの情動」ようなものがこの国の社会にはまん延している。

高齢者が一人でクルマを運転しているときにマスクを外さないのもこの「エモさ」が原因だ。冷静に考えれば、閉ざされた運転席でマスクをする意味などなにもない。しかし、この「きちんと考える」ということができない人のなんと多いことか。そして、なんとなく外さない。この「なんとなく」が、日本的なエモさである。

日本人は、個が確立されていないと言うこともできるだろう。

個が確立されていれば、自分の頭で考えて結論を出せることを、あえてそうせず周囲との共感というあいまいな感情に身をゆだねて、集団に流される。これが日本的なエモさだ。

たとえば生活保護の場合、

私は日本国籍を持っているー>いま生活に困窮しているー>私は国家に生活の窮状を救ってもらう権利がある

という風に考えて堂々と受給すればいいのだが、実際には、

生活保護を受けるくらいなら死んだ方がまし
恥だ
バッシングが怖い

などなどのエモさが先に立って、受給するくらいなら死を選ぶ人が表れる。戦時中のバンザイ突撃とかわらない。

バンザイ突撃に敵の戦力をそぐ力があるならやる意味もあっただろうが、実際は敵のマシンガンの前に身をさらしているだけの無意味な自殺にすぎない。

そして、生活保護を潔しとせず電車に飛び込むことと、降伏を潔しとせずバンザイ突撃することには共通点があり、この共通点こそがこの国の抱えるあらゆる問題の根幹にあるものだ。ぼくはこれを日本的なエモさと呼んでいる。

ガーシー議員の役割は暴露ではない

こういう無意味なエモさを終わらせていくには、理屈を述べてもどうにもなんらない。

日本的なエモさをものともせずに、ルールをごり押ししていくことのできるハートの強い突出した個が一人でも多く表われること。これが社会の空気を換えていくうえで有効なのではないかと思っている。

だから、ガーシー議員ことも応援する気になった。一度も国会に登院したことのない人が、月130万円の給与を受け取って、ドバイでのうのうと暮らしていてもいいじゃないか。

これは犯罪ではない。国会法は、国会に登院しない議員を想定していなかったので、こういうことがまかりとおっているわけだが、いわば法の抜け穴だ。しかし、法の抜け穴をとおることがまかり通る姿を見せることで、すこしでも日本人の意識が変わるならそれもいい。

実際は、彼にもいろんな葛藤があるのだろうが、できればのうのうとしている姿をみせてほしい。

彼にくらべれば、生活保護なんかたかだか10数万円である。ガーシー議員は、クソくだらない芸能暴露などやらなくていい。ふてぶてしい姿をさらし、「今日は暑いな~」などといって130万円の札束をうちわのかわりに使って、あおぐ姿を見せてほしい。

税金のうちわは涼しいな~

くらいは言ってもいい。そうして、返す刀で、

おれに比べれば、生活保護なんてかわいいものだ、困っている人はサッサと受給しろよ

くらいのことを言ってほしい。そうすることで、生活保護を忌避して自殺する人が一人でも二人でも減るのなら、総額2億円の活動費など安いものだ。

今この国は、ダークヒーローを必要としている。

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