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この程度のことで分断が生じているのがバカバカしい

オリンピックでメダルを取るのは周りから見てもすごいことだが、本人にとってもすごいことである。おそらく周りが思っている以上に本人にとっては大変なことだったはずである。

まわりが「金メダルすごいな~」といっているのに、当人が「じつはたいしたことじゃないんだけど・・」などと思っていることはありえない。

外国語だってそうであり、「いいなあ」などと言っている周囲の想像を通り越して本人はずいぶんな道のりを歩いている。

しかし、デジタル機器はどうなのか?

よくパソコンが「使える」とか「使えない」とか、情報リテラシーがあるとかないとか言う。しかし「リテラシー」と言うほどたいしたことなのだろうか。いまスマホでこのnoteを閲覧しているあなたは「周りからすれば簡単にやっているように見えるけどほんとは大変なんだぞ」などと思っているのだろうか。

ありえない。

「システムを構築できる」とか「複雑なプログラミングをやれる」というなら別だ。しかし「スマホでYouTubeを見る」のは「テレビのリモコンを操作できる」こととおなじくらい他愛ないことだ。それにもかかわらず、今の世の中はネットを使える人とまったく使えない人に分断されている。

きびしいようだがオールド世代は食わず嫌いをしている。外国の人が「コンニチハ」と話しかけてきているのに「英語ダメダメ」と言って逃げているレベルである。ほんのちょっと心を開けばいいだけなのにアタマから思考停止している。

IT機器は、昭和のアタマづくりで十分に対応できる。たとえば、パソコンを使い始めた母が「ファイルとフォルダのちがいがわからない」というので以下のような説明をしたことがある。

押入れの中にバッグが入っており、そのバッグの中にさらにポーチが入っていて、そこになにかの書類が入っている。フォルダとはこの押し入れやバッグやポーチのようなものであり、書類がファイルなのだと。

こう説明したら「なあんだ」とわかってどんどん使いこなせるようになった。パソコンの概念なんて昭和の家の中にあるもので説明できる程度のものだ。ニュートン力学から相対性理論に進むほど考えの転換をせまられるわけではない。80代の人でも、テレビのリモコンが使えるならスマホが使えないわけがないのである。父を見ていても、心さえ開いてくれればかんたんに使えるのになあと思ってしまう。

子どものころからスマホを使える「デジタルネイティブ」なんて新しいバイトをはじめたときに立派に見える先輩みたいなものだ。1週間もやっていれば先輩も大したことをやっていなかったのだとわかる。

そういうオブラートみたいな壁をベルリンの壁のように見せているのは、社会を分断している陰謀論とおなじような壁だろう。アタマから思考停止しているのであり、この程度のことで分断が生じているのがなんだかバカバカしい。

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