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人はなぜ信じるのか
ひとはなぜカルトを信じるのだろうか。
ぼくはこの問題をずっと考えてきた。
じぶんの若いころをふりかえってみると、いつマインドコントロールされてもおかしくない時期はあった。そこをのりこえることができたのは、単なる運である。
そういう気持ちがあるので、いまだにオウム事件を引きずっている。
ただしぼくがオウムに引っかかっているのは内面の問題としてであり、社会問題としてではない。
社会問題としてのカルトで深刻なのは、まずおカネの問題であり、そして2世の問題だろう。統一教会のばあいには政治の問題もある。
あの団体は、キリスト教の異端だが、極東の特殊事情に合わせて聖書を読みかえ、戦後の日本と「あの国」との関係性につけこんで勢力をのばしてきた。世界中で布教しているにもかかわらず、「お財布」の役割をはたしているのは今でも日本だけという、じつに特殊な例だ。
とはいえ、ぼくはこの件には全然詳しくない。しかし憶測で書いているのでもなく、かといって本やネットで仕入れた知識でもない。血と肉であがなった情報を直接聞いた。
しかし、ぼくが引っかかっているのはこうした社会問題ではなくて、心の問題のほうなのだ。なぜ人はカルトに引っかかるのか。
カルトに詳しい真宗大谷派の瓜生崇住職が指摘しているのが、本当だと思う。
瓜生住職も、かつては「親鸞会」という、浄土真宗系ではかなりカルト色の強い団体で勧誘をやっていたそうだ。
その実体験から「小説を読む人は入信しない」とか、「理系学生が多い」とか、「家族に問題を抱えた人が入る」などというのは俗説に過ぎないという。
私が感じた入信者の傾向というのはただ一つで、彼らは人間の根源的な救済や教えを求める「核」を持っているというだけだ。
また、こうも言う。
教団がインチキであったとしても、そこで気づかされた人生の根本問題は本物であったりする。(中略)教団をやめて脱会者となっても、少なくない人が求道を続けるのだ。私はそういう人たちをたくさん見てきた。
ぼくも見てきた。上に挙げた「血と肉であがなった情報」をくれた人だってそうだ。脱会した後も求道を続けており、良識的でまっとうな方である。
そして、ぼくもやっぱり「核」のあるタイプなのだ。ここでどんなにふざけて「ウンコウンコ」言っているとしても、何も信じていないかというとそういうわけでもない。
とはいえ、何を信じているかというと、
信じたら解決するような生やさしいものではない
ということなんだけど。
とつぜん世界が変わったりしないし、みんなの意識が覚醒したりもしないし、今日や明日や50年先やら100年先にどうなるってものでもない。
精神世界系の人が言っているような生やさしいファンタジーに対しては
ちーがーうだーろーっ! 違うだろーォッ!! 違うだろっ!!!
とだけ言っておきたい。
とはいえ、危機的状況はべつに今日に始まったことでもないのだ。これまでだって世界大戦もあったし、核戦争の危機もあったし、飢饉も大虐殺も数えきれないほどあった。大きな犠牲を払いつつ、なんとかここまでしのいでやってきた
これから「もうちょっと」傾斜がきつくなってくるだけだ。これまでどおりに一つ一つしのいでいくしかない。
そんなんいやだ
という人もいるだろうが、真実というのは身もふたもないものなのである。
というわけで、人生の根源的な問いに引っかかっている人は、とりあえずどうにもこうにもなりませんので、目の前の問題に集中して一つ一つクリアしていくことをお勧めします。
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