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「好き」にはとげがある

香水にはイヤな臭いが混じっている

何度も見たくなる映画に出会うのは、僕の場合、人を好きになるのとちょっと似ており、あとあと深く好きになる人というのは初対面ではあまりいい印象を受けていない。

香水の中には嫌な臭いが混じっているのだというけど、アレに近いかもしれない。

スカトールというのがその物質で、スカンクの匂いとして知られる強烈な汚臭なのだが、香水にほんのわずかにまぜると、他の匂いを引き立てて深みを増すのだそうだ。いいにおいだけを集めても単なるいい匂いの集まりにすぎず、人を惹きつける香水は生まれないのである。

ぼくがあとあと好きになる人から初対面でウケる印象もこれと似ており、初対面ではやや「ひっかかる点」があるというか、とげのようなものが心に刺さって残る。

それがいずれその人の魅力に深みを増すスカトールみたいな役割を果たして、あとあと好きになってしまうのである。

好きな映画にはとげがある

映画も同じで、いわゆる「いい映画」にはいい匂いだけが集まっているような作品もあって、それはそれでいいんだけど、そういう作品を繰り返しみたくはならない。

何度も見たくなる作品にはとげのようなものがあり、それが心に刺さって傷口が痛むので、気になって何度も見てしまい、そうしているうちにすっかり好きになってしまうのである。

『007 慰めの報酬』のとげ

007といえばヒットを義務付けられている人気シリーズなので、クセが強いと困るタイプの映画で、むしろ無難さが求められる。

しかしその中でもややクセの強い作品があり、それが、クレイグボンドの第二作目にあたる『007/慰めの報酬』(2009)である。

今日、Amazon Primeで3回目を観た。そして3回目を観終わって、まだまだ何度も見るだろうなというのが自分でもわかった。

でも、1回目に見た時には、それほどいい印象を受けていないのだ。たしかにおもしろいし、いいんだけど

せわしないな・・

という感じが強かった。カットのテンポがあきらかにせわしない。

映画好きとしての経験で言わせてもらうと、この手のせわしないカット割りをする監督は、映画に関わる前にだいたいミュージックビデオで修行しているか、CMなどを多く手掛けているパターンが多い。

伝統的な映画は、基本的には一台のカメラでじっくり撮っていくが、CMやミュージックビデオは、複数台のカメラを同時に回して撮影し、音楽のテンポに合わせてバシバシ画面を切り替えるものが多いから、そういう感じになりやすいのである。

『慰めの報酬』は、アクションシーンになると普通の倍以上のテンポで画面が切り替わるので、観客は目の焦点を合わせることができず、だんだん目がシバシバしてくる。このあたりがクセが強いのだが、このせわしなさがクレイグボンドのドライで荒々しい感じを引き立てている面もあって、悪いとばかりは言えないんだけど。

監督はマーク・フォースターという人で、当然ミュージックビデオかCMの出身なのだろうなあと思っていて、いまこれを書く前に念のため調べてみたのだが、NY大学で映画を学び、卒業後は即ハリウッドに関わっているのでそういう経歴の人ではなかった。

また、撮影監督もそういうタイプの人ではない。

しかし、フォスター作品は編集がいつも同じ人でマット・チェシーという人なのだ。日本語では彼の情報がないのだが、英語のWikipediaを見たところ、長くCMディレクターのアシスタントをやってから映画に入っているので、このあたりがバシバシカットの源流なのだろう。

無難さが求められる「007」シリーズでは異色のカット割りで、いいか悪いかはともかく、とげのようなものとして観客の中に残る。

『トスカ』の名シーン

しかし、この作品にはわすれがたい名シーンがある。途中でプッチーニのオペラ『トスカ』が劇中上演されるのである。『トスカ』の舞台上では発砲シーンがあるのだが、その発砲と同時並行で、裏でボンドも撃ち合いになる。

このシーンがすごく良くて、ぼくはおかげで、マリア・カラスの『プッチーニ:歌劇「トスカ」』というCDを買ってしまったほどだ。

今回も、このシーンを見たくて最初から全部見直してしまったのだけど、あいかわらずクセの強いカットで目がシバシバした。でも、また4回、5回と見たくなる気がしていて、そして、やがてこのクセの強いバシバシカットもふくめて好きになってしまいそうな気がする。

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