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オームがオウムになるのがいちばんよくない

維新の会から当選した杉本衆議院議員が、信者と手をつないで『オームー、オームー』と唱える儀式を議員会館でくりかえしていたことが発覚したというニュースを昨日紹介した。

杉本さんには悪いけどもう1回書かせてもらう。昨日は冗談ぽく書いたが、この件には、スピ系や陰謀論の問題点ついての重要なポイントがからんでいる。今日は少し踏み込んで書いてみたい。

スピ系にくわしい人の中には、「オームー」ととなえるくらい別にいいのではないかと思う人もいるだろう。なぜかというと、OM(オーム)というのはマントラ(真言)の中ではよく知られた有名なものだからである。ヨガ教室のさいしょにはみんなで「オームー」ととなえることも多いらしい。やったことのある人もいるだろう。

杉本議員のやったことは、議員会館でヨガ教室を開いたことと大差ない。もちろん議員会館の使用は「会派に直接関係のある会合」に限ると定められているのでヨガ教室をひらいてはいけないが、それほど大騒ぎするほどのことではないともいえる。クリスチャンの議員が聖書研究会を開いたのと大差ないはずである。

ただし、杉本議員は「これで国会を浄化できる」と語っていたそうだが、国会議員がこういうやり方で「国会を浄化しよう」という発想がよくない。なにごとにも王道というものがあり、国会議員の王道は言論と多数決だ。

OM(オーム)という真言を使って国会を浄化しようという発想は、暴力にうったえて強行採決を阻止しようという発想とそれほどちがわない。パンチやキックは格闘家にまかせ、OM(オーム)はヨガインストラクターにまかせるべきだ。国会議員の武器は、言論と多数決と根回しである。以上のことは、OM(オーム)という真言が「じっさいに効くかどうか」ということとは別の話だ。

ぼく個人としては、OM(オーム)という音にはある程度の効果があるんじゃないかと思っている。これについては古今東西にさまざまな証拠が残っている。ちなみに憶測だが、OM(オーム)の語源は陰陽(おんみょう)と同じではないか。OとMという音で心身の陰陽(いんよう)のバランスを調整しようということだろう。

ただしサッカー選手が手を使ってゴールを決めてはいけないように、国会議員がOM(オーム)を使って国政を動かそうとしてもいけない(マラドーナは使ったけど)。

まして、この国ではオウムを唱える人々がテロ事件を起こしてたくさんの犠牲者を出した過去もある。杉本議員が個人の信仰と議員活動に一線を引けないのは視野が狭くなっているからであり、考えのバランスがとれてないからだ。「効くから使う」という発想ならピストルだって爆弾だってサリンだって効く。

スピ系や陰謀論に熱心な人が一番注意しなければならないのは、このようにのめりこみすぎて視野が狭くなることだ。

以上をまとめると、OM(オーム)に一定の効果があることを否定はしないが、議員活動の一環としてやってはいけない。OM(オーム)がオウムになるのがいちばんよくない。イスラム過激派がテロに走ると穏健なイスラム教徒全体が迫害されるのと同じだ。

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