見出し画像

世間で「脳内分断」が進みつつある

はっきりいえば、今の時代は、「発信する人・発信しない人」の二つに分かれる。

とはいえ、発信すると儲かるとか、承認欲求が得られるとかいったありきたりなことを言いたいのではない。

継続的に発信している人とそうでない人とでは脳の働きが異なってくる。これがいま進みつつある分断の正体だとぼくはおもう。脳内分断だ。

これに気づいたのは、ある人から「ホワイトカラー・ブルーカラーなどという区別は関係ない!」みたいな主張を聞かされたのがきっかけだ。

本人は「職業に貴賎なし」みたいなことを言いたかったのだろうが、発想が古すぎて言いたいことを理解するのに手間取った。

そもそもブルーカラー/ホワイトカラーというのが昭和の発想である。今それを問題にすることの意味がよくわからない。

もちろん、そういう区分があるのは知っている。オフィスでパソコンに向かっている人はホワイトであり、トラックの運転席に座っている人はブルーだ。

ただし、いずれAIに取って代わられるという意味では大したちがいはない。

ただし今の時代には、ブルーだろうとホワイトだろうと継続的に情報発信している人とそうでない人とがいて、ぼくの見方では、それが今後大きな分断になると思う。

ところで、情報発信するといっても、ツイッターで「バルス!」と言っているのは発信には当たらない。ヤフコメで世間を批判しているのも発信ではない。

そういうのはテレビ局に抗議の電話と入れるのと変わりがなく、そんな連中は昭和のころからたくさんいた。

数年前にぼくはある業界紙のインタビューを受けたことがあるのだが、あれも「発信」ではなかった。

正確にはインタビューというより、送られてきた質問にテキストで回答して、それを編集者が手を加えたものだ。

ただし、その記事を目にした人の数は、このnoteを目にしている人よりはるかに多かったはずだし、内容も読む価値のあるものだった自信がある。文字数も今日書いている倍くらいあったはずだ。

しかし、ぼくは今、情報を発信しているという感覚があるが、そのときはそういう感じはなかった。他人事のように紙面を読んだだけだ。

あれを発信していたのは編集部である。雑誌の方針を決め、表紙を選び、読者をふやし、今月の企画を立てて、依頼するという行為が「発信」だと思う。

テレビに例えるなら、あのときのぼくの立場は街頭でインタビューを受けた通行人みたいなものだった。そしてヤフコメに投降している人たちも、あの時のぼくと同じくネット上の通行人にすぎない。

じゃあ、どういう人が発信しているかと言うと、たとえばこういう人だ。

トラックで全国を走り回っているドライバーさんの動画チャンネルである。ちなみにぼくはファンではないのでチャンネル登録はしていない。

最初に見かけたのは2年くらい前だったと思うけど、誠に失礼ながら、そのうち飽きられて消えるのだろうなあと感じた。おじさんがトラックを運転し、ときどきご飯を食べているだけなのだから。

そうしてすぐにその存在を忘れた。

しかし昨日のぞいてみたら、登録者数は20万を越え、動画総数は523本だ。一介のトラックドライバーが、2年以上にわたって500本以上の動画をアップするというのはただごとではない。

最近では、トラックショーの取材とか

幻の食堂の立ち退き話とか、トラック会社の管理スタッフへのインタビューなど工夫が凝らされていて、どれも10万~20万回再生されている。

たぶん起きている間はずーっと企画のことを考えているはずだ。

さて、「この人が特別だ」といいたいのではない。「こういう人がいっぱいいるのがいまなのだ」といいたいわけです。

昭和のトラック運転手は、東京から大阪まで運転しているあいだ、

腹減ったなあ

とか

腰が痛いなあ

とか思いながらラジオを聞いていただけだろう。しかし、この「おじとら」さんは、東京から大阪までずーっと

なんかネタになるものが転がってないかな

と思っているはずだ。
ラジオを聞いても「このアイデア使えるな」と思い、コンビニに立ち寄っても、「ここで撮影すると面白くなりそうだ」と思い、渋滞にハマったら「おもしろい渋滞動画」のアイデアを練っている。

そうでないと500本は続かない。

ぼんやりハンドルを握っている人と、たえずネタをさがしながら握っている人では、数年もすれば脳の働きが異なってくる。

社会が「発信する人・発信しない人」に分かれるというのは、こういう意味だ。クリエイター脳の発達した人が各分野に増殖している、ということである。

オフィスでパソコンに向かっている人も話は同じで、まんぜんと作業し、終わったら飲みに行き、休日はゴルフしているだけの人と、たえずブログのネタをひねっている人とでは脳の働きが変わってくる。

また、おなじ「有権者」でも、選挙に行くたびに政治家の悪口を言っているだけの人と「これで1本とれないかなあ」と考えている人では世界の見え方が変わってくる。この2種類の人間に世の中が分断しつつあるのだ。

ネタ探しは、従来プロの仕事だった。しかしたえずネタ出しに苦しんでいる人がオフィスにもトラックの運転席にもごろごろいるのが今の時代なのである。

つまり「素人クリエイター脳」化している人と「ぼんやりしているだけの人」に社会が分断しつつある。

これがぼくの時代認識だ。なので、いきなりブルーだホワイトだといわれてなんのことやらわからなかったんだけど、次の瞬間に「これはnoteのネタに使えるなフフ」と思ったわたのはもちろんである。

スキャンダルを見ても、ただ怒っているだけの人と、ネタにできないかなと脳が動き出す人の2種類に世界は分断されつつある。見た目ではわからないが、この分断は結構大きいのではないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?